2007-01-31
柳沢発言と安倍の対応
政治家が失言をするたびに野党が揚げ足取りのようにそれを責めて、辞任、辞任と叫ぶ、というのはあきあきだ。誰だって言葉を探しているうちに不適切な発言をしてしまうことがある。そのたびに閣僚がやめていては、政府の運営なんて無理だ。と、オレは普段は思っている。
だが、今回のは、ちょっと違うぞ。厚生労働省と言えば、少子化問題とも深くかかわる所だろう。その大臣が、女性を人間製造機械としか思っていない、ということが明らかになったわけだ。そういう考えの人が大臣やってても少子化問題は解決せんだろ。悪化するだけだ。本人が辞めんというのなら、総理大臣が辞めさせるべきなのに、安倍は、厳重注意しました、ですませようとしている。世論の反応からみて、いずれ辞めさせることになるのは明らかなのだから、潔く早いうちに辞めさせればいい。それがリーダーだ。いつまでもぐずぐずしていると、ますます支持率下がるぞ。
しかし、野党も情けない。大臣辞任せよというついでに、自分達が、少子化問題にどう対応するつもりか言えばいいのに、言わない。いや、多分、言えないのだろう。政策がないのだ。
これは、ちょっと前の、複数の政治家の政治団体事務所の不明朗会計が明らかになった時も同じ。最初は、与党の政治家をたたくだけたたいておいて、野党の政治家も同じことやっていることがわかると、とたんに静かになってしまった。そんなことじゃなくて、不明朗会計を今後防ぐためにはどうすればいいか、法案を作るなりするべきなのに、ただの政争の道具にしか使っていないのだ。その先がないのだ。だから、野党は政権を取れない。情けない。
だが、今回のは、ちょっと違うぞ。厚生労働省と言えば、少子化問題とも深くかかわる所だろう。その大臣が、女性を人間製造機械としか思っていない、ということが明らかになったわけだ。そういう考えの人が大臣やってても少子化問題は解決せんだろ。悪化するだけだ。本人が辞めんというのなら、総理大臣が辞めさせるべきなのに、安倍は、厳重注意しました、ですませようとしている。世論の反応からみて、いずれ辞めさせることになるのは明らかなのだから、潔く早いうちに辞めさせればいい。それがリーダーだ。いつまでもぐずぐずしていると、ますます支持率下がるぞ。
しかし、野党も情けない。大臣辞任せよというついでに、自分達が、少子化問題にどう対応するつもりか言えばいいのに、言わない。いや、多分、言えないのだろう。政策がないのだ。
これは、ちょっと前の、複数の政治家の政治団体事務所の不明朗会計が明らかになった時も同じ。最初は、与党の政治家をたたくだけたたいておいて、野党の政治家も同じことやっていることがわかると、とたんに静かになってしまった。そんなことじゃなくて、不明朗会計を今後防ぐためにはどうすればいいか、法案を作るなりするべきなのに、ただの政争の道具にしか使っていないのだ。その先がないのだ。だから、野党は政権を取れない。情けない。
2007-01-29
映画「リトルバーズ」とマスク
今日、日本人ジャーナリスト(多分)の綿井健陽(わたい たけはる)氏の作った、イラク戦争のドキュメンタリー映画「リトルバーズ - イラク戦火の家族たち」の上映会があるというので行って来た。これは、イラク戦争の開戦から2年間を、普通のイラク市民の視点から撮ったドキュメンタリーである。2家族にスポットをあて、それぞれがどのような被害を被り、その中でもどれだけだくましく生きているかを描いている(とオレには見えた)。だいたいにおいて血に弱いオレは、病院の中のシーンでは、目をあけてられなかった。痛そうにのたうちまわっている人、足が切断された人(処置済みでガーゼはしてあるが)、片腕を無くした子供、クラスター爆弾の破片のささった人などが出ていた。綿井氏が、アメリカ軍兵士に、どうしてフセイン政権崩壊後も残留しているのか、大量殺戮兵器はどうなったのか、なぜ子供を殺すのか、と質問するシーンでは、どの兵士もまともな答えができず、逃げていた。
アメリカ軍はイラクの人々のために駐留しているのだと信じているアメリカ人に是非見てもらいたい映画なのだが、残念ながら米国内でのDVDの流通経路ができていないようだ。監督本人も会場に来て、上映後座談会があり、どうやったらDVDを入手できるのかという質問があったのだが、即売するDVDは持って来ていないとこのこと。えぇ、どうしてぇ?と思ってしまった。
で、この映画には、自衛隊のサマワでも活動もちょっと出ていた。アメリカ人は自衛隊もイラク戦争に加担していることを知らない人が多いみたいで、隣の人達は、「あれなんで日本の軍隊が?」とささやいているのが聞こえた。自衛隊員は、日本のマスコミ相手に、隊内の食事を披露し、それを食べるためシーンを撮るため、「ああ、もう少し体を下にしてこっち向いて」とか指示されて、ポーズを取らされていた。このシーンに対して、座談会で、あれはいったい何だったのかという質問が出ていた。アメリカ人はこういうことはしないらしい。
自衛隊の活動として紹介していたのが、医療活動。地元の子供病院での自衛隊軍医(軍じゃないタテマエだからこう言うべきではないのだろうが、他にどう言うのだ?)の小児ガン患者との交流を紹介していた。その1シーンで、地元の病院スタッフといっしょに病室を回診するシーンがあるのだが、オレが異様に思えたのは、自衛隊の軍医だけマスクをしている、ということ。そうそう、アメリカでもマスクをしている医者というのはあまり見ない。あれは、英語では、surgical mask、つまり手術マスクといって、手術をする時にするもので、他の時にはあまりしない。それにひきかえ、日本では、かぜをひいたら他の人に移さないためにマスクをしなければならない、ということになっているが、あまり医学的効能はないときく。いったいどうして日本人はマスクを信仰するのだろう?映画の主題とは全く関係ないが、考えてしまった。
最近やっとアメリカ人も物事を少しは冷静に見えるようになったようで、ブッシュの2万人増兵計画は議会でも軍内でさえも、指示を得ていないようだ。しかし、ブッシュはおかまいなしに計画を実施しようとしている。困ったことである。国民の意見を背景に、議会がブッシュを罷免することを願うしかないようだ。
アメリカ軍はイラクの人々のために駐留しているのだと信じているアメリカ人に是非見てもらいたい映画なのだが、残念ながら米国内でのDVDの流通経路ができていないようだ。監督本人も会場に来て、上映後座談会があり、どうやったらDVDを入手できるのかという質問があったのだが、即売するDVDは持って来ていないとこのこと。えぇ、どうしてぇ?と思ってしまった。
で、この映画には、自衛隊のサマワでも活動もちょっと出ていた。アメリカ人は自衛隊もイラク戦争に加担していることを知らない人が多いみたいで、隣の人達は、「あれなんで日本の軍隊が?」とささやいているのが聞こえた。自衛隊員は、日本のマスコミ相手に、隊内の食事を披露し、それを食べるためシーンを撮るため、「ああ、もう少し体を下にしてこっち向いて」とか指示されて、ポーズを取らされていた。このシーンに対して、座談会で、あれはいったい何だったのかという質問が出ていた。アメリカ人はこういうことはしないらしい。
自衛隊の活動として紹介していたのが、医療活動。地元の子供病院での自衛隊軍医(軍じゃないタテマエだからこう言うべきではないのだろうが、他にどう言うのだ?)の小児ガン患者との交流を紹介していた。その1シーンで、地元の病院スタッフといっしょに病室を回診するシーンがあるのだが、オレが異様に思えたのは、自衛隊の軍医だけマスクをしている、ということ。そうそう、アメリカでもマスクをしている医者というのはあまり見ない。あれは、英語では、surgical mask、つまり手術マスクといって、手術をする時にするもので、他の時にはあまりしない。それにひきかえ、日本では、かぜをひいたら他の人に移さないためにマスクをしなければならない、ということになっているが、あまり医学的効能はないときく。いったいどうして日本人はマスクを信仰するのだろう?映画の主題とは全く関係ないが、考えてしまった。
最近やっとアメリカ人も物事を少しは冷静に見えるようになったようで、ブッシュの2万人増兵計画は議会でも軍内でさえも、指示を得ていないようだ。しかし、ブッシュはおかまいなしに計画を実施しようとしている。困ったことである。国民の意見を背景に、議会がブッシュを罷免することを願うしかないようだ。
2007-01-25
はじめてのハワイ(その3) 〜波乱の帰国日〜
いきなり帰国日の話だ。途中のことは、また後で。
帰りの飛行機は夜10時発。空港は、ホテルのあるカイルア=コナから車で20分ほどの距離にあり、空港もごくごく小さいので空港内の移動時間も考える必要は無いから、最後の日は、まるまる一日使える。
午前中は、プーホヌア・オ・マナウナウ国立公園という、ポリネシア王朝時代の遺跡を見に行く。王族の住む地域と、宗教上の規則に違反したり戦争で負傷した人 達の駆け込み寺的な所が隣接してあるのが面白い。宗教上の規則に違反して死刑を宣告されても、その駆け込み寺地域に24時間隠れていれば浄化されて、罪は チャラになるのだそうだ。さすが南国、いい加減。王族用船着き場には、写真のような木彫りがあった。
遺跡を見たらホテルに戻り、ホテル横の海岸でもう一度シュノーケルで潜り、それからあわただしくパッキング。 制限時間の正午ぎりぎりにチェックアウト。荷物はホテルに預ける。というのは、飛行機に乗る前にホテルのゲストルーム (というのがあるらしい)でシャワーをあびたかったので、どうせホテルに戻るつもりだったからだ。
最後の日は、ちょうどクリスマス。ハワイに限らず、欧米のクリスマスは、日本の正月のように静かだ。皆、家族で集まって家で食事をする。日本の恋人とラブラブなクリスマスを想像しないように。だから、普通の店は閉まっているし、レストランも、閉店しているところが多い。しかしここは一応観光地なので、開いている店は少しはあるはずだ。もっとも我々は前日、ハ ワイアン・ディナーショーでたらふく食べたので、あんまり空腹でなく、レストランをあんまり一生懸命探そうともしなかったのでよくわからない。結局、ガソリンスタンドで売っ ていた、スパム(豚のくず肉で作ったハムもどき)とオムレツ風卵とノリとご飯の典型的なハワイ弁当の最後のひとつを買って家族で分けたり、あまった菓子類を食べて昼は済ます。
午後は、島の西海岸の北の方へ1時間ばかりかけてドライブし、高級リゾート地域の海岸へ行く。ここはおとといも来たところで、波が強く、その波とたわむれて遊ぶのが目的だ。前回来た時は、いわゆるボディーサーフィンといって、来る波に押されて海岸を滑ることをした。その時、ブギボードで遊んでいる連中が楽しそうだったので、今回は、ブギボードをレンタルした。ただし、一枚だけ借りて、それを息子と交代で使う。
息子がブギボードを使っている間、オレは、ボディーサーフィン。最初浅いところでやっていたが、そのうちちょっとあきてきて、もう少し深い所へ行く。やってくる波が くずれるすぐ手前(海岸側)まで行った。大きな波が来たので、それに乗る・・・ったつもりだったが、いつのまにかオレは波の中にいる。つまり巨大な水の 固まりの中だ。そしてその水はオレの体を翻弄する。オレは、水の中で木の葉のように舞い、そして右肩に激痛が走る。海底の砂にたたきつけられたようだ。 うーん、波は恐ろしい。
砂浜のビーチタオルの上で寝転がってちょと休むと、しかし、そのことはすっかり忘れて、また波とたわむれに行く。まわりをながめると、楽しそうにボディー サーフィンをしている男どもは、沖に向かって泳いでいる。なるほど、多分、波がくだけ始めるところより向こうに行って、波に乗れば、楽しいのだな、と思い オレも泳ぐ。で、ふと回りを見ると、あれ、誰もいない?ありゃ、まずい、足もつかんぞ。こりゃ大変。あわてて、方向を逆転して、海岸に向かって泳ぐ。しかし、思ったよ うに進まない。そういえば、昔スキューバ・ダイビングの資格を取る時に読んだ教科書に、海岸にはリップカレントとかいうのがあって、海岸に戻るのは大変だ、と書いてあった。(その時は、岸にと並行に泳げ、ということも書いてあったのだが、そんなことは、その時は思い出せない。)とにかく、夢中で、海岸に向かって泳ぐ。あれ、まだ足がつかないぞ。やばい。これでは力尽きてしまうのか?オレは、ハワイで海のモクズとなるのか?とか、かなり悲観的ムードになっているうちに、やっと足が着いた。ああ、よかった。
これだけ2回怖い目にあえば、慎重になるのが、賢い人だ。後から聞いた話だが、その日はいつもより波が高く、事故も多かったそうだ。でも、オレは、賢い人ではなかった。
肩の痛みがおさまった頃、息子からブギボードの順番が回って来た。最初は、海岸の近くで遊ぶが、思ったほど滑らない。つまんねーなぁと思う。
ふと見ると、ベテランらしき男達は、波がくずれるあたりまで行き、いい波を待っているみたいなので、オレもまねをする。でも一応前回の過ちをしないため、今回は、波のくずれるところより先には行かないつもりだし、ブギボードがあるからとりあえず泳がなくても浮いてられるので、前回よりは安全なはずだ、と考えた。
お、いい波が来たぞ。波に 乗ろうとする。あれっ?いつのまにか波の中だ。また水の固まりに体を取られたようだ。あ、今度は、ブギボードをつかんでいるので、さっきよりもさらに波に 翻弄されているぞ。あれよあれよと、波任せに体が動き、ガ〜〜〜〜ンという激痛が頭を走る!今度 は、頭から、地面にたたきつけられたようだ。
幸い意識は失わなかったが、かなり痛い。何とか立ち上がり、よぼよぼと、ビーチタオルのところまで戻り、横になる。ちょっと冷めたビールの缶を頭の打ち付けたところに当てて冷やす。だが、痛みはそれだけではないことに気づく。首が痛い。どうやら、自動車の 衝突事故と同じように、むち打ち症のようになっているような気がする。妻に頼んで氷をもらって来てもらい、冷やすが、なかなかよくならない。こりゃまずい なぁ。
念のためと思い海岸の監視員に相談したら、救急病院へ行くことを強く勧められる。この時時間は、3時頃。オレの経験では、アメリカの救急病院というのは、血をダラダラ流しているような患者以外は、とっても長い間待たされ、そんな所へ行ったら、飛行機に間に合わなくなる可能性大だ。しかし、無理をして飛行機に乗って、飛行機の中で症状が悪化して、太平洋の真ん中なので緊急着陸もできず、機内で死亡、なんてことになるのもいやなので、しぶしぶ同意。何と、生まれて初めて、救急車に乗るはめになる。
案の定、着いてみると、まず医者が来るのを待たされる。やっと医者が来て、問診をして、CT を取ることが決まる。今度は、CT が空くのを1時間近く待つ。CTを取るのは10分程度だが、今度はその画面(多分デジタル化されていて、フィルムの現像とかは今はしないと思う)を放射線専門医が見て、その所見を担当医に渡し、何てことをするのにさらに1時間。結局、首の骨は折れていないので飛行には問題なしという診断結果がて出、強力な鎮痛剤をもらって病院を後にしたのが、6時。飛行機まであと4時間しかない。
運ばれた病院は、ホテルからさらに遠い地域にある病院だったので、ここからホテルへは普通なら1時間半かかる。しかしクリスマスのせいか、幸い道はいつもより空いていて、ホテルへは1時間で到着。荷物をもらい、一部の荷物の入れ替えを行うが、勿論シャワーを浴び ている時間なんてない。オレは、砂だらけの体のまま、8時ちょっと前に空港へ向けて出発。
いくらクリスマスでも、中華料理屋は開いているだろうと思い、空港に行く途中にあるモールの中華料理屋へ行く。お、さすが、電灯がついているぞ、やっと飯にありつける、と、喜んで行ったら、ドアが開かない。店じまいをしている。どうやら、クリスマスなので8時閉店らしい。くそー。じゃあ、隣のウエンディーズは、と目をやると、完全に閉まっている。今日一日開いていた形跡なし。えっ、ファーストフードの店も閉まるの?
これ以上開いているレストランを探していると飛行機に間に合わなくなる心配があったので、夕食は空港内のレストランで 食べることにして、とりあえず空港へ。レンタカーの返却はスムーズに終わり(客は我々しかいない!)、空港ビルまでのシャトルバスもすぐに出してくれたので、空港ビルには余裕で到着。チェックインを済ませて、セキュリティーチェックを過ぎる。
よし、1時間あるぞ、これでやっと食事にありつける。この小さな空港の、唯一のレストランに入ると、えっ、そんなぁ。今日はレストランの営業はおしまいで、バーだけの営業?食べ物は一切無い?じゃあ仕方ない、売店で何かつまみでも食べるか、と思って見渡すと、店も全部閉店しているではないか!おい、なんだ、これは?一応、国際線も就航する国際空港なんだろ。最終 便が飛ぶ前にレストランも店も閉店なんてありか?おまえら、やる気あんのか?(勿論、ない。)
というわけで、オレ達は、ハワイ島最後の日の後半を、スリルとサスペンスと空腹で過ごした。でも、取りあえず、生きて、飛行機の便の変更(=多分すごっく高くつく)をする必要もなく帰れたので、よしとしたい。波とクリスマスの日の旅行は要注意だ。
帰りの飛行機は夜10時発。空港は、ホテルのあるカイルア=コナから車で20分ほどの距離にあり、空港もごくごく小さいので空港内の移動時間も考える必要は無いから、最後の日は、まるまる一日使える。

遺跡を見たらホテルに戻り、ホテル横の海岸でもう一度シュノーケルで潜り、それからあわただしくパッキング。 制限時間の正午ぎりぎりにチェックアウト。荷物はホテルに預ける。というのは、飛行機に乗る前にホテルのゲストルーム (というのがあるらしい)でシャワーをあびたかったので、どうせホテルに戻るつもりだったからだ。
最後の日は、ちょうどクリスマス。ハワイに限らず、欧米のクリスマスは、日本の正月のように静かだ。皆、家族で集まって家で食事をする。日本の恋人とラブラブなクリスマスを想像しないように。だから、普通の店は閉まっているし、レストランも、閉店しているところが多い。しかしここは一応観光地なので、開いている店は少しはあるはずだ。もっとも我々は前日、ハ ワイアン・ディナーショーでたらふく食べたので、あんまり空腹でなく、レストランをあんまり一生懸命探そうともしなかったのでよくわからない。結局、ガソリンスタンドで売っ ていた、スパム(豚のくず肉で作ったハムもどき)とオムレツ風卵とノリとご飯の典型的なハワイ弁当の最後のひとつを買って家族で分けたり、あまった菓子類を食べて昼は済ます。
午後は、島の西海岸の北の方へ1時間ばかりかけてドライブし、高級リゾート地域の海岸へ行く。ここはおとといも来たところで、波が強く、その波とたわむれて遊ぶのが目的だ。前回来た時は、いわゆるボディーサーフィンといって、来る波に押されて海岸を滑ることをした。その時、ブギボードで遊んでいる連中が楽しそうだったので、今回は、ブギボードをレンタルした。ただし、一枚だけ借りて、それを息子と交代で使う。
息子がブギボードを使っている間、オレは、ボディーサーフィン。最初浅いところでやっていたが、そのうちちょっとあきてきて、もう少し深い所へ行く。やってくる波が くずれるすぐ手前(海岸側)まで行った。大きな波が来たので、それに乗る・・・ったつもりだったが、いつのまにかオレは波の中にいる。つまり巨大な水の 固まりの中だ。そしてその水はオレの体を翻弄する。オレは、水の中で木の葉のように舞い、そして右肩に激痛が走る。海底の砂にたたきつけられたようだ。 うーん、波は恐ろしい。

砂浜のビーチタオルの上で寝転がってちょと休むと、しかし、そのことはすっかり忘れて、また波とたわむれに行く。まわりをながめると、楽しそうにボディー サーフィンをしている男どもは、沖に向かって泳いでいる。なるほど、多分、波がくだけ始めるところより向こうに行って、波に乗れば、楽しいのだな、と思い オレも泳ぐ。で、ふと回りを見ると、あれ、誰もいない?ありゃ、まずい、足もつかんぞ。こりゃ大変。あわてて、方向を逆転して、海岸に向かって泳ぐ。しかし、思ったよ うに進まない。そういえば、昔スキューバ・ダイビングの資格を取る時に読んだ教科書に、海岸にはリップカレントとかいうのがあって、海岸に戻るのは大変だ、と書いてあった。(その時は、岸にと並行に泳げ、ということも書いてあったのだが、そんなことは、その時は思い出せない。)とにかく、夢中で、海岸に向かって泳ぐ。あれ、まだ足がつかないぞ。やばい。これでは力尽きてしまうのか?オレは、ハワイで海のモクズとなるのか?とか、かなり悲観的ムードになっているうちに、やっと足が着いた。ああ、よかった。
これだけ2回怖い目にあえば、慎重になるのが、賢い人だ。後から聞いた話だが、その日はいつもより波が高く、事故も多かったそうだ。でも、オレは、賢い人ではなかった。
肩の痛みがおさまった頃、息子からブギボードの順番が回って来た。最初は、海岸の近くで遊ぶが、思ったほど滑らない。つまんねーなぁと思う。
ふと見ると、ベテランらしき男達は、波がくずれるあたりまで行き、いい波を待っているみたいなので、オレもまねをする。でも一応前回の過ちをしないため、今回は、波のくずれるところより先には行かないつもりだし、ブギボードがあるからとりあえず泳がなくても浮いてられるので、前回よりは安全なはずだ、と考えた。
お、いい波が来たぞ。波に 乗ろうとする。あれっ?いつのまにか波の中だ。また水の固まりに体を取られたようだ。あ、今度は、ブギボードをつかんでいるので、さっきよりもさらに波に 翻弄されているぞ。あれよあれよと、波任せに体が動き、ガ〜〜〜〜ンという激痛が頭を走る!今度 は、頭から、地面にたたきつけられたようだ。
幸い意識は失わなかったが、かなり痛い。何とか立ち上がり、よぼよぼと、ビーチタオルのところまで戻り、横になる。ちょっと冷めたビールの缶を頭の打ち付けたところに当てて冷やす。だが、痛みはそれだけではないことに気づく。首が痛い。どうやら、自動車の 衝突事故と同じように、むち打ち症のようになっているような気がする。妻に頼んで氷をもらって来てもらい、冷やすが、なかなかよくならない。こりゃまずい なぁ。
念のためと思い海岸の監視員に相談したら、救急病院へ行くことを強く勧められる。この時時間は、3時頃。オレの経験では、アメリカの救急病院というのは、血をダラダラ流しているような患者以外は、とっても長い間待たされ、そんな所へ行ったら、飛行機に間に合わなくなる可能性大だ。しかし、無理をして飛行機に乗って、飛行機の中で症状が悪化して、太平洋の真ん中なので緊急着陸もできず、機内で死亡、なんてことになるのもいやなので、しぶしぶ同意。何と、生まれて初めて、救急車に乗るはめになる。
案の定、着いてみると、まず医者が来るのを待たされる。やっと医者が来て、問診をして、CT を取ることが決まる。今度は、CT が空くのを1時間近く待つ。CTを取るのは10分程度だが、今度はその画面(多分デジタル化されていて、フィルムの現像とかは今はしないと思う)を放射線専門医が見て、その所見を担当医に渡し、何てことをするのにさらに1時間。結局、首の骨は折れていないので飛行には問題なしという診断結果がて出、強力な鎮痛剤をもらって病院を後にしたのが、6時。飛行機まであと4時間しかない。
運ばれた病院は、ホテルからさらに遠い地域にある病院だったので、ここからホテルへは普通なら1時間半かかる。しかしクリスマスのせいか、幸い道はいつもより空いていて、ホテルへは1時間で到着。荷物をもらい、一部の荷物の入れ替えを行うが、勿論シャワーを浴び ている時間なんてない。オレは、砂だらけの体のまま、8時ちょっと前に空港へ向けて出発。
いくらクリスマスでも、中華料理屋は開いているだろうと思い、空港に行く途中にあるモールの中華料理屋へ行く。お、さすが、電灯がついているぞ、やっと飯にありつける、と、喜んで行ったら、ドアが開かない。店じまいをしている。どうやら、クリスマスなので8時閉店らしい。くそー。じゃあ、隣のウエンディーズは、と目をやると、完全に閉まっている。今日一日開いていた形跡なし。えっ、ファーストフードの店も閉まるの?
これ以上開いているレストランを探していると飛行機に間に合わなくなる心配があったので、夕食は空港内のレストランで 食べることにして、とりあえず空港へ。レンタカーの返却はスムーズに終わり(客は我々しかいない!)、空港ビルまでのシャトルバスもすぐに出してくれたので、空港ビルには余裕で到着。チェックインを済ませて、セキュリティーチェックを過ぎる。
よし、1時間あるぞ、これでやっと食事にありつける。この小さな空港の、唯一のレストランに入ると、えっ、そんなぁ。今日はレストランの営業はおしまいで、バーだけの営業?食べ物は一切無い?じゃあ仕方ない、売店で何かつまみでも食べるか、と思って見渡すと、店も全部閉店しているではないか!おい、なんだ、これは?一応、国際線も就航する国際空港なんだろ。最終 便が飛ぶ前にレストランも店も閉店なんてありか?おまえら、やる気あんのか?(勿論、ない。)
というわけで、オレ達は、ハワイ島最後の日の後半を、スリルとサスペンスと空腹で過ごした。でも、取りあえず、生きて、飛行機の便の変更(=多分すごっく高くつく)をする必要もなく帰れたので、よしとしたい。波とクリスマスの日の旅行は要注意だ。
2007-01-21
アンパンの中から出て来たものは・・・

昨日ジャパンタウンで買い物の最後に、レジの近くでアンパン らしきものを発見したので、反射運動的に買い物カゴに放り込んだ。それを今朝食べようとして、よく見ると、青緑色のものがあるのを発見。さては、カビ?で、一応アンパンを開けてみると、ん、アンコのまわりに青緑の薄皮?アンパンの包装をよく読むと、アンパンではなく、大福パン!なんと、パンの中身は草大福!これにはびっくり。で、お味は、大福の皮がかなり薄いので、まあ普通のアンパンとあんまり変わりなかった。これは、ひょっとして日本で一時ちょっとだけ流行ったもの?それともロサンジェルスの大発明?(このアンパンの製造場所はロサンジェルスと書いてあった。)
2007-01-19
はじめてのハワイ(その2)〜燈台下暗し〜
お断り: この記事は二日前に投稿したものですが、システムの都合で順番が狂って掲載されたので、再投稿します。すでに読んだ方はごめんなさい。

この旅で泊まったのは、Outrigger Kauhou(ケアウホウ) Beach Resort というホテル。Outriger は、グアムとかにもホテルをかまえる中堅ホテルチェーンだ。着くなりいきなりびっくりしたのは、フロントが半屋外というか、オープンエアだとということ。一応ビルの中にあるが、フロントと外を隔てる壁がないのだ。とても南の島っぽくていいが、しかし嵐の時はどうするんだろうね?
毎度無計画なオレ達は、あまり下調べということをせず行き、付いた日の翌朝にやっとガイドブックを真剣に見始めるという始末。だらだらと一日目の計画を練り終わったのは昼過ぎ。すでに半日損をしたではないか。で、第一日目は、キラウエア火山の国立公園へ、火口跡と、現在も流れるという溶岩と、できたらそこからちょっと離れた海岸にたくさんいるらしいウミガメを見に行くことにした。まあそんなに大きな島じゃなさそうだから、大丈夫だろうとタカをくくっての話だ。
だが、この計画は、出発後30分にすでに挫折。ハワイ島の幹線道路は一部を除いて片側一車線で、結構渋滞が発生するのだ。また所々くねくね道があり、息子が車酔い状態になって、途中で休憩を入れなければ行けない。まともなランチを出しそうなレストランをさがすのにやたらと時間がかかった。そして、ハワイは思ったより広い。
そんなこんなで、国立公園についたのが3時近く。火口跡をちょっと見た後、今度は溶岩流を見るため海の近くまで降りて駐車。駐車場から、車進入禁止となった元舗装道路を歩いて行くと、途中でその道路は溶岩の下敷きになっている。といっても熱いドロドロの溶岩ではなく、何年か前に流れて固まった溶岩だが、形だけはまるで今でも流れているようだ。それからさらに、固まった溶岩の上を歩いて行くと、はるか向こうの海に煙が見える。どうもこれは、熱い溶岩が海に流れ着いて水蒸気を発生しているためのようだ。日没になるとその場所が赤く光って見えるらしいのだが、無計画なオレ達は懐中電灯を持ってなかったので、日没前に車に戻る必要があり、あきらめて引き返す。オレ達とは逆に、一没後の溶岩を見る人達がたくさんすれ違って行く。やはり、この種の旅にはある程度の計画は必要であるということを再認識。
6時半ごろ国立公園を後にして、帰路に着くが、なかなかホテルのまで着かない。途中で食事をしたいのだが、レストランはまばらにしかなく、これはと思ったところはもう店じまいしている。ハワイ島の店はすぐしまるようだ。バーのついてでにレストランもやってます、といった感じの店を見つけて入る。もう8時半近くだからかどうかは知らないが、店内に客は一組もいない。(バーにいるようだが、レストランからは見えない。)こりゃー大変な所に来てしまったと思ったが、もうすでに遅い。他に選択肢はないのだ。メニューを見たら、何とチキンカツカレーとハンバーグ定食があるので、それを頼んだ。ハンバーグは、まあハンガーグ自身はそこそこおいしいのだが、アメリカにしてはずいぶんこぶりで、付け合わせはご飯だけというのがさびしかった。だが、チキンカツカレーはなかなかいけた。アメリカ風にでかいチキンカツが二つあり、それがご飯の上に乗っていて、日本風のカレーがかかっている。いかにもアメリカ風のレストランで、なかなか和風のチキンカツカレーが食べられるとは思ってなかったので、感激だ。
というわけで、一日目は、かなり効率の悪い動き方をしたため、噂のウミガメは見れなかった。二日目、三日目は、シュノーケルやら渓谷乗馬ツアーやらに参加したので、ウミガメ見れず。しかし、三日目の晩に意外なことを知る。ホテル内のコインランドリーで乾燥機の仕上がりを待っている時、暇だったので、同じく乾燥機の仕上がりを待つ宿泊客と話をした。すると、ウミガメもいるし、シュノーケルだけでも熱帯魚が見えるスポットが、近くにあるというのだ。そこが、今回の旅行で彼女が一番お気に入りの場所だというのだ。えっ、そんな素晴らしいところがあるんですか?そこどこなんですか?と訪ねると、えっ、我々のホテルの横のビーチ?うむ、そういえば、ホテルにチェックインした時に鍵を入れて渡してくれた封筒にはカメの写真が印刷してあったなぁ。
というわけで、翌朝さっそく、ホテルのプールを横切って歩いて、隣の公共の海岸へ行く。こんな岩場ばっかりの海岸なのに人がたくさん。いったい皆何をしてるんだと思ったら、おおいるわいるわ、ウミガメがいるではないか!シュノーケルで潜ると、確かに魚も、数も種類も豊富。何だこんなことなら、わざわざスキューバダイビングなんてする必要ないじゃん。それにしても、燈台下(もと)暗しとはこのことだ。
まだまだ続く(たぶん)

この旅で泊まったのは、Outrigger Kauhou(ケアウホウ) Beach Resort というホテル。Outriger は、グアムとかにもホテルをかまえる中堅ホテルチェーンだ。着くなりいきなりびっくりしたのは、フロントが半屋外というか、オープンエアだとということ。一応ビルの中にあるが、フロントと外を隔てる壁がないのだ。とても南の島っぽくていいが、しかし嵐の時はどうするんだろうね?
毎度無計画なオレ達は、あまり下調べということをせず行き、付いた日の翌朝にやっとガイドブックを真剣に見始めるという始末。だらだらと一日目の計画を練り終わったのは昼過ぎ。すでに半日損をしたではないか。で、第一日目は、キラウエア火山の国立公園へ、火口跡と、現在も流れるという溶岩と、できたらそこからちょっと離れた海岸にたくさんいるらしいウミガメを見に行くことにした。まあそんなに大きな島じゃなさそうだから、大丈夫だろうとタカをくくっての話だ。
だが、この計画は、出発後30分にすでに挫折。ハワイ島の幹線道路は一部を除いて片側一車線で、結構渋滞が発生するのだ。また所々くねくね道があり、息子が車酔い状態になって、途中で休憩を入れなければ行けない。まともなランチを出しそうなレストランをさがすのにやたらと時間がかかった。そして、ハワイは思ったより広い。

6時半ごろ国立公園を後にして、帰路に着くが、なかなかホテルのまで着かない。途中で食事をしたいのだが、レストランはまばらにしかなく、これはと思ったところはもう店じまいしている。ハワイ島の店はすぐしまるようだ。バーのついてでにレストランもやってます、といった感じの店を見つけて入る。もう8時半近くだからかどうかは知らないが、店内に客は一組もいない。(バーにいるようだが、レストランからは見えない。)こりゃー大変な所に来てしまったと思ったが、もうすでに遅い。他に選択肢はないのだ。メニューを見たら、何とチキンカツカレーとハンバーグ定食があるので、それを頼んだ。ハンバーグは、まあハンガーグ自身はそこそこおいしいのだが、アメリカにしてはずいぶんこぶりで、付け合わせはご飯だけというのがさびしかった。だが、チキンカツカレーはなかなかいけた。アメリカ風にでかいチキンカツが二つあり、それがご飯の上に乗っていて、日本風のカレーがかかっている。いかにもアメリカ風のレストランで、なかなか和風のチキンカツカレーが食べられるとは思ってなかったので、感激だ。
というわけで、一日目は、かなり効率の悪い動き方をしたため、噂のウミガメは見れなかった。二日目、三日目は、シュノーケルやら渓谷乗馬ツアーやらに参加したので、ウミガメ見れず。しかし、三日目の晩に意外なことを知る。ホテル内のコインランドリーで乾燥機の仕上がりを待っている時、暇だったので、同じく乾燥機の仕上がりを待つ宿泊客と話をした。すると、ウミガメもいるし、シュノーケルだけでも熱帯魚が見えるスポットが、近くにあるというのだ。そこが、今回の旅行で彼女が一番お気に入りの場所だというのだ。えっ、そんな素晴らしいところがあるんですか?そこどこなんですか?と訪ねると、えっ、我々のホテルの横のビーチ?うむ、そういえば、ホテルにチェックインした時に鍵を入れて渡してくれた封筒にはカメの写真が印刷してあったなぁ。

まだまだ続く(たぶん)
2007-01-11
Sumo その2
おととい iPhone の発表のあった MacWorld Expo は、サンフランシスコのダウンタウンのすぐ近く、モスコーニ・センターというところで行われている。オレはこのすぐ近くで働いているので、昼休みにちょっと(のつもりだったが2時間いた。)展示会だけ見て来た。
こういう展示会では、アップル社(ご存知のように、社名からコンピューターを取ることも発表されたので、もうアップル・コンピューター社ではない。)のような大企業の展示は飛ばして、周辺にある中小零細企業のブースを見て回るのが面白い。だって、大企業の製品は、いろんな人が紹介記事書いてくれるし、店に行って試すことだってできるが、無名のメーカーの物はこういう時でないと試せないではないか。
ということで、周辺部をうろうろしていたら、またもや、Sumo ブランドを発見。
どうも、iPod ケースとそれにマッチした財布やカバンを作っているメーカーのようだ。ちなみに、写真でにあるロゴの付いた箱は、製品を展示用の台で、製品ではない。でも、何でこれが相撲と関係あるんだ?相撲取りのようにでかくて頑丈、というわけでもなさそうだし、日本ともあんまり関係なさそうだし。実は日本の企業?仮にそうであっても、あえて日本の企業であることを強調する必要もないだろう。不思議だ。
しかし、iPhone には、驚いた。他のメーカの作る多機能ケータイのように、電話に無理矢理電子手帳を付けたり、その逆をやっているわけではなく、まったくゼロから作られていることがわかる。見た目のデザインもいいし、人間工学的操作性もかなりよさそうだ。Mac と同じ MacOS で動いているというから、驚き。値段がほぼ500ドルと、高価なのが問題だが、きっとオタッキーな人なら躊躇することなく買うのだろう。さすが、アップル。さすが、スティーブ・ジョブである。
話はそれるが、11月にマイクロソフトが発売した、Zune (ズーン?)という iPod 対抗製品は何だ。まったくカッコ悪い。まるで、初期の MP3 プレーヤーのようだ。まともなデザイナーを雇ったとは思えない。かといって、iPod より機能が多いわけでも、使いやすいわけでも、ダウンロードできる楽曲が多いわけでも、値段で勝負できるほど安いわけでもない。これで iPod のシェアを少しでも取れると思っているのだろうか?回りで Zune 使っている人を今まで一人も見たことないし、それについて噂をしているのを聞いたこともないぞ。iPod 一人勝ちの構図はしばらく続きそうである。
こういう展示会では、アップル社(ご存知のように、社名からコンピューターを取ることも発表されたので、もうアップル・コンピューター社ではない。)のような大企業の展示は飛ばして、周辺にある中小零細企業のブースを見て回るのが面白い。だって、大企業の製品は、いろんな人が紹介記事書いてくれるし、店に行って試すことだってできるが、無名のメーカーの物はこういう時でないと試せないではないか。
ということで、周辺部をうろうろしていたら、またもや、Sumo ブランドを発見。

しかし、iPhone には、驚いた。他のメーカの作る多機能ケータイのように、電話に無理矢理電子手帳を付けたり、その逆をやっているわけではなく、まったくゼロから作られていることがわかる。見た目のデザインもいいし、人間工学的操作性もかなりよさそうだ。Mac と同じ MacOS で動いているというから、驚き。値段がほぼ500ドルと、高価なのが問題だが、きっとオタッキーな人なら躊躇することなく買うのだろう。さすが、アップル。さすが、スティーブ・ジョブである。
話はそれるが、11月にマイクロソフトが発売した、Zune (ズーン?)という iPod 対抗製品は何だ。まったくカッコ悪い。まるで、初期の MP3 プレーヤーのようだ。まともなデザイナーを雇ったとは思えない。かといって、iPod より機能が多いわけでも、使いやすいわけでも、ダウンロードできる楽曲が多いわけでも、値段で勝負できるほど安いわけでもない。これで iPod のシェアを少しでも取れると思っているのだろうか?回りで Zune 使っている人を今まで一人も見たことないし、それについて噂をしているのを聞いたこともないぞ。iPod 一人勝ちの構図はしばらく続きそうである。
2007-01-09
著作権保護期間延長に反対しよう

前にも書いたが、著作権というのは、文化活動を促進して、社会を豊かにするための人工的な権利である。皆が喜ぶ作品を作れる人がそれだけで食べて行けるための制度である。そもそもその作者の死後50年まで認めることすら必要ないはずだ。(まあ、作者が死んだ後見直されて有名になる作品とかもあるので、その場合も報われるように、20年とかならわかるが。)それを今回、死後70年にしょうという話だが、70年という年数には何の根拠もない。こんな原理原則のないことを許しては、20年後に、また延長しようという話が出るのが目に見えている。
ということで、オレは、著作権保護期間の延長には反対である。青空文庫という、著作権の切れた文学作品を電子化して公開している団体でも、反対の請願運動を始めたので、もう少し知りたい方、著作権延長反対に賛同される方は、先ほどもふれたこのページを読みんでいただきたい。
2007-01-05
残業代廃止を阻止せよ
日本では、事務職技術職の残業代を廃止できるように法律を変更しようという話が、何やら突然始まっていると聞く。何と今国会で成立させるとか?
http://www.asahi.com/life/update/1227/015.html
官僚どもは、例によってこれに「ホワイトカラー・エグゼンプション」などとわけのわからん英語の名前をつけて国民を煙にまこうとしているが、こんなことでだまされてはいけない!
確かに、アメリカでは、オレのような技術者や、弁護士や、その手の専門職に対して、この制度はすでに使われている。オレの給料明細にも、「EXEMPT」と書いてある。これにより、時間による細かい管理が行われなく なり、仕事が終わったら金曜日は早めに帰る、とかできる会社も多い。だが、混同してはいけない。シリコンバレーには少ないが、今でも多くの伝統的な会社で は、勤務時間は9時から5時半まで、と決まっていて、拘束されるらしい。残業代廃止と、勤務時間を自由にすることは別問題である。実際の所、日本の今の法制下でも、フレックスタイムを採用している企業は多い。
残業代を出さなくていいというのは、あくまで規定時間より長く働いても残業代を出さ なくていいという制度であって、勤務時間を個人の裁量で短縮できる制度ではない。基本的には、会社に都合のいい制度である。
じゃあ、日本の法律では、時間規制対象外の社員は、個人の裁量で勤務時間を短縮できるようにすればいいだろう、と思うかもしれない。が、そんなことをしても問題解決にはならない。会社としては、要するに一日8時間勤務ではとてもできない量の仕事を与えておいて、「さあどうこなすかはあなた次第ですよー」と言えばいいのだ。
アメリカでこういうことが実際には問題にならないのは、労働市場が広く、流動的だからだと思う。それと、アメリカ人は、一般的に個人の生活を重要視する。そのため、あんまりひどい負荷を与えるような上司が上に来たら、労働者は違う会社に移る。そういう歯止めがあるのだ。
以前よりよくなったとはいえ、まだ転職がしにくい日本では、この歯止めがない。唯一の歯止めは、残業代である。これを払わなくていいとなったら、会社側は労働者を奴隷として使うであろうことは目に見えている。仕事のためなら、終電車まで仕事をし、平日は妻子の顔を見なくても当然と思っている企業戦士のいる日本。また、集団の和を尊重するため、つきあい残業が当たり前で、有休の消化もままならない日本。そういう風土で、残業代を廃止すれば、家庭崩壊と過労死が大量に発生するだろう。
アメリカでは、たとえプロジェクトの締め切り間際の佳境であっても、以前から予定していた休暇があれば、休む。遠慮もなければ、謝るなんてことはない。オレも、他社とのプロジェクトで、締め切りが近い時に、プロジェクトの担当者から、「あ、ところで、来週からオレ2週間、休暇だから、来週から代理の人と相談してね」と言われて、おったまげたことがあるが、そういうことが平気で言える風土なのだ。日本では、勿論、このようなことを言うと、バカヤローと一喝される。社長がどなりこんできて、その会社と取引中止になるかもしれない。事前に根回ししておき、平謝りで休まなければならない。状況によっては仕事を優先させ、休暇取り消しもありだ。いずれにせよ、職場にお土産はかかせない。(アメリカでは、職場にお土産を買うということはまずない。)
この労働者ドレイ化(今でもすでに奴隷だが)を狙った法律改悪に関して、安倍総理大臣は、この制度が労働時間短縮につながり、家族といっしょにいる時間が増え、(だから妻とセックスをする機会が増えるので、という理屈?)結果として少子化対策になるなどとほざいたそうだ。
http://www.asahi.com/politics/update/0105/007.html
まったく、会社で仕事したことのない二世議員はこれだから困る。日本の会社社会の仕組みがよくわかっていないようだ。
一般的には、この制度は、考慮に値するが、今の日本の風土ではだめだ。まず、個人・家族の都合を仕事に優先できるような風土ができた後で考えるべきことだ。少なくとも、ほとんどの人が気兼ねなく有休が消化できるような風土がなければならぬ。もう一度、断言するが、今この案にそった法律の変更案が通れば、家庭崩壊と過労死が急増する。絶対に通してはいけない。
http://www.asahi.com/life/update/1227/015.html
官僚どもは、例によってこれに「ホワイトカラー・エグゼンプション」などとわけのわからん英語の名前をつけて国民を煙にまこうとしているが、こんなことでだまされてはいけない!
確かに、アメリカでは、オレのような技術者や、弁護士や、その手の専門職に対して、この制度はすでに使われている。オレの給料明細にも、「EXEMPT」と書いてある。これにより、時間による細かい管理が行われなく なり、仕事が終わったら金曜日は早めに帰る、とかできる会社も多い。だが、混同してはいけない。シリコンバレーには少ないが、今でも多くの伝統的な会社で は、勤務時間は9時から5時半まで、と決まっていて、拘束されるらしい。残業代廃止と、勤務時間を自由にすることは別問題である。実際の所、日本の今の法制下でも、フレックスタイムを採用している企業は多い。
残業代を出さなくていいというのは、あくまで規定時間より長く働いても残業代を出さ なくていいという制度であって、勤務時間を個人の裁量で短縮できる制度ではない。基本的には、会社に都合のいい制度である。
じゃあ、日本の法律では、時間規制対象外の社員は、個人の裁量で勤務時間を短縮できるようにすればいいだろう、と思うかもしれない。が、そんなことをしても問題解決にはならない。会社としては、要するに一日8時間勤務ではとてもできない量の仕事を与えておいて、「さあどうこなすかはあなた次第ですよー」と言えばいいのだ。
アメリカでこういうことが実際には問題にならないのは、労働市場が広く、流動的だからだと思う。それと、アメリカ人は、一般的に個人の生活を重要視する。そのため、あんまりひどい負荷を与えるような上司が上に来たら、労働者は違う会社に移る。そういう歯止めがあるのだ。
以前よりよくなったとはいえ、まだ転職がしにくい日本では、この歯止めがない。唯一の歯止めは、残業代である。これを払わなくていいとなったら、会社側は労働者を奴隷として使うであろうことは目に見えている。仕事のためなら、終電車まで仕事をし、平日は妻子の顔を見なくても当然と思っている企業戦士のいる日本。また、集団の和を尊重するため、つきあい残業が当たり前で、有休の消化もままならない日本。そういう風土で、残業代を廃止すれば、家庭崩壊と過労死が大量に発生するだろう。
アメリカでは、たとえプロジェクトの締め切り間際の佳境であっても、以前から予定していた休暇があれば、休む。遠慮もなければ、謝るなんてことはない。オレも、他社とのプロジェクトで、締め切りが近い時に、プロジェクトの担当者から、「あ、ところで、来週からオレ2週間、休暇だから、来週から代理の人と相談してね」と言われて、おったまげたことがあるが、そういうことが平気で言える風土なのだ。日本では、勿論、このようなことを言うと、バカヤローと一喝される。社長がどなりこんできて、その会社と取引中止になるかもしれない。事前に根回ししておき、平謝りで休まなければならない。状況によっては仕事を優先させ、休暇取り消しもありだ。いずれにせよ、職場にお土産はかかせない。(アメリカでは、職場にお土産を買うということはまずない。)
この労働者ドレイ化(今でもすでに奴隷だが)を狙った法律改悪に関して、安倍総理大臣は、この制度が労働時間短縮につながり、家族といっしょにいる時間が増え、(だから妻とセックスをする機会が増えるので、という理屈?)結果として少子化対策になるなどとほざいたそうだ。
http://www.asahi.com/politics/update/0105/007.html
まったく、会社で仕事したことのない二世議員はこれだから困る。日本の会社社会の仕組みがよくわかっていないようだ。
一般的には、この制度は、考慮に値するが、今の日本の風土ではだめだ。まず、個人・家族の都合を仕事に優先できるような風土ができた後で考えるべきことだ。少なくとも、ほとんどの人が気兼ねなく有休が消化できるような風土がなければならぬ。もう一度、断言するが、今この案にそった法律の変更案が通れば、家庭崩壊と過労死が急増する。絶対に通してはいけない。