2015-09-11

米国ソフトゥエア産業の日本化を嘆く

実のことを言うと、オレが日本を飛び出してシリコンバレーに来たきっかけは、大学を出て最初に就職した企業がかなり日本的な会社で、工員服着せられて、朝ラジオ体操をさせられて、大部屋で作業をさせられたことにある。何だこんな個性のないところ、皆の話し声が聞こえるようなやかましい環境で、いいソフトができるわけない、と思った。

こちらに来て、最初に働いた会社は日本に関係ある小さな会社(すぐに潰れた)では、確かキュービクル(一人ずつに可動壁で区切られた空間)で働いたと思う。次に働いた小さな会社とその次の大企業では、窓のある二人部屋が与えられた。うまくマネージャーに昇格するか、マネージャーと同待遇の偉いエンジニアになれば、一人部屋が与えられる。なるほど、こういうところなら仕事の集中できて、独創的な仕事ができるんだろうなぁと感心したもんだ。

2001年頃から話が怪しくなってくる。スクラムという、ソフトウェア開発プロセスが流行り出したのだが、そのプロセスの解説本の中で、ホンダの開発プロセス(立ったままする「ワイワイ」会議)やら、トヨタのなんとかやら、日本の工業界の開発技法が論じられる。うーん、何で〜?と思った。

そして2010年頃になると、大部屋で、大きな机を皆んなで挟んでラップトップ(正しい日本語では、ノートパソコン?)を持ち込んで仕事をするのが、コミュニケーションが取れてよい、ということで流行になって来る。10年近く働いた会社では、キュービクルの仕切りを低くして、立ち上がると他の人が見える高さになった。そこを辞めて入った会社では、大部屋に大机。自分の机で電話会議をしたり、長ったらしい議論を始めると、やかましくて仕事にならない。仕方ないのでヘッドフォンをして仕事をすることになるわけだが、そうすると、ヘッドフォンをしているので、皆が遠慮して、必要なことでも話しかけてこなくなる。コミュニケーションの活性化と逆のことが起きてしまったわけだ。いったいどこの誰が大机がいいといい始めたのだろう?だいたいそんなことでいいソフトウェアができるのだったら、日本は昔からソフトウェア大国だったはずだ。

最近入った会社では、大部屋、大机だけではなく、kanban だの kaizen だのという言葉も飛び交っている。日本語と日本社会を知っているオレにとっては、まるで工場で働いている気分だ。オレが避けてきた文化が、向こうの方からやってきたわけだ。そのうち、朝礼やラジオ体操まではやりになければいいのだが。

ちなみに、日本とは関係ないが、最新の流行は、立ち机。立ってコンピューターの操作をするのが、健康にいいということになって、いろんな会社で採用されている。今とところは、(高いので)希望者だけが使っている状況だが、そのうち、全員が立って働くことを強制される時代が来るのではないかと危惧している。


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