2007-08-12
中部カリフォルニア冒険の旅(その3)
2007年7月22日(日) 夕方 - まったくウソみたいな話だ。こりゃ絶対事故起きるよね、と話をしていたら目の前で自動車とバイクの正面衝突が起きたのだ。この目で、バイク乗りが空中を飛んで行くのを見たなんて信じられない。
と感慨にふけっている間に、他の人の行動は素早い。フランクともう一人は、いつの間にか交通整理を始めた。坂を降りてくる車が事故車にぶつかる二次災害を防ぐためだ。また、片側1車線の道路なので、反対側から来る車と交互通行をさせる必要もある。勿論、まだまだやってくる暴走バイクの連中を静める必要もある。他の人は、空中を飛んで地面にたたきつけられたバイク乗りの介護の様子をうかがっている。さすがにボランティアの国、アメリカだ。誰にも指図されずに自分のできることを始めた。手際がいい。ええと、オレにできることは、と考えて、非常電話のありかを知っているのはオレだけなので、救急車と警察を呼びに行くことにした。
もう1時間もいやいやつきあわされて、慣れた非常電話。呼び出しボタンを押すと、今度はさっきよりは早く係員が出た。聞いたことある声。「えーっと、さっき AAA の件で電話したオレだけどー、覚えてる?AAA は相変わらず来ないんだけど、それはそれとして、実はオレの目の前で、バイクと自動車が正面衝突したんだ。」「けが人は?」「いや、僕自身は確認してないんだけど、バイクの人が空中を飛んで行ったから、大けがだと思うよ。救急車を至急派遣してもらえます?ハイウエイパトロールへの連絡もよろしく。」みたいなことを言いいながら、事故現場へ通じる反対側からの下り坂をながめていると、あ、大きなトラックが。あれが、AAA のレッカー車に違いない。正確にはレッカー車ではなくフラットベッドと言う。オレの車は常時四駆なので、レッカーで後輪か前輪だけ持ち上げて引っ張ることができず、車全体をトラックに乗せて運ぶ必要があるのだ。(面倒なので、以下、レッカー車と書く。)
電話を終えて事故現場に戻り、まずは、レッカー車の兄ちゃんと話す。レッカーの兄ちゃん、呼んだオレのことよりも事故のことが心配で、事故車の前にレッカー車を止めて何かの役に立とうとしている雰囲気。オレは、自分が彼を呼んだことを告げ、もし事故処理の手伝いをしたいのであれば、終わるまで待ってやるから、していいよ、と言った。救急車と警察は呼んだのかと、聞くので、一応呼んだけど、オレのつたない英語じゃ正確に伝わってないかもしれないから、もう一度電話してもらっていいよ、と言って、非常電話の場所を教えてやった。
そのうち後から来たバイク乗りの仲間達が集まり出した。さらにそいつらがトランシーバーで連絡したのか、それともちっとも来ないから心配になったからか知らないが、先に行ったバイク仲間も現場に戻って来た。しかし、こいつらは、若造のアホだ。友達が心配なのはわかるが、右往左往するだけで、事故処理の手伝いをしようともしない。全く困った連中だ。
通報後30分ぐらいして、消防署の車みたいなのが来る。救急車かと思ったら違っていて、一番近くの集落の自衛消防団の人みたいだ。交通整理の手伝いを始めたが、人命救助はできそうもない。40分たっても救急車が来ないのに業を煮やしたバイク仲間が、トラックの荷台に負傷者を乗せて運んだらどうかと言い出した。それについて議論をしているうちに、南の方から救急車の音。やっと到着だ。それと前後して北側からは、ハイウエイパトロールがやってきて、自動車の運転手から事情聴取を始めた。
それからさらに30分ぐらい経過。救急車はやっとけが人を収容して走り去た。バイクの運転手は幸い片方の足の骨を折っただけですんだそうだ。運のいい奴だ。頭から着地していれば、首の骨を折って即死とか後遺症が残ってもおかしくないのに。警官も、もう交通整理はしなくていいという合図をして、事故処理終了。長い一日が終わった。
いやちょっと待て、まだオレの事故車の始末が終わっていない。レッカー車の兄ちゃんから、修理工事の場所と連絡先を聞く。オレの車はレッカー車の荷台にクレーンで引っぱり上げられた。この兄ちゃん、事故を起こしたバイクもいっしょに移動することとなり、それを積んでからの出発となる。次に、オレ達がロッジに戻る方法を考えないといけない。フランクの奥さんは、送ってやってもいいよと言っているが、彼らの帰り道とは逆方向で、往復で1時間以上損することになるから、それは悪い。北に行く人はいないか、事故現場でボランティアした人に声かけていくが、なかなかみつからない。それで、だめもとで、事故のまきぞえとなったベンツの、ゲイのカップル風の白人二人組にお願いしてみた。ベンツは、バンパーが壊れ、助手席側のガラスにヒビが入っていたが、走行可能ということで、そのまま走ることになっていたのだ。ちょっと神経質そうな人だったので断られるかと思っていたが、幸い引き受けてくれた。

彼らは、ミシガンから1週間かけてカリフォルニアまで自動車旅行をしているところだそうだ。長旅の途中でこんな事故に巻き込まれるなんて、かわいそうだと思う。運転手はかなり慎重な性格の人のようで、自動車の長旅のために、非常事態があった時に人工衛星経由で助けを呼べるシステムまで搭載したのだが、事故発生場所が山陰だったので役に立たなかったと嘆いていた。また、さすがに事故にあった直後のせいか、運転もかなり慎重で、ロッジに着くのに1時間ぐらいかかった。
お礼を言って、ロッジに着いたのが夜の8時半。レストランにはすでに閉店の看板が出ていたが、車がないのでここしか便りがないとお願いして入れてもらい、適当なものを食べ、しばらくして寝た。長い一日であった。
【余談】食事の後、ラップトップPCを持って来て、売店の近くのベンチに座り、メールを読む。無線LANの電波が、部屋まで届かないのだ。すると、売店のお姉ちゃんが通りかかったので、ちょっと雑談。実は今日は長い日で、車が故障して、生き別れになって、何とか宿まで戻って来た、と言うと、実は私も車が故障したからここに住んでるの、と言ってちょっとした身の上話を聞かせてくれた。
何年か前まで彼女とダンナは、トラックで放浪の旅(+仕事?)を続けていたのだそうだ。恐らくその日暮らしの生活。ところが、このロッジから2マイル先のところでトラックが故障。でも修理代を出せるような貯金はない。そこで修理代をかせぐために、ロッジで仕事を始めたのだそうだ。すると、住む部屋は提供してくれるし、オーナーとうまくいったし、ここが気に入って、定住して、今に至る、ということだそうだ。
いろんな人生あるねぇ。
【画像】事故処理中は写真を取っている余裕がなかったので、今回は画像なし、・・・ではさびしいので、今回の旅行中に取った画像を適当に載せました。
(まだまだつづく)
と感慨にふけっている間に、他の人の行動は素早い。フランクともう一人は、いつの間にか交通整理を始めた。坂を降りてくる車が事故車にぶつかる二次災害を防ぐためだ。また、片側1車線の道路なので、反対側から来る車と交互通行をさせる必要もある。勿論、まだまだやってくる暴走バイクの連中を静める必要もある。他の人は、空中を飛んで地面にたたきつけられたバイク乗りの介護の様子をうかがっている。さすがにボランティアの国、アメリカだ。誰にも指図されずに自分のできることを始めた。手際がいい。ええと、オレにできることは、と考えて、非常電話のありかを知っているのはオレだけなので、救急車と警察を呼びに行くことにした。
もう1時間もいやいやつきあわされて、慣れた非常電話。呼び出しボタンを押すと、今度はさっきよりは早く係員が出た。聞いたことある声。「えーっと、さっき AAA の件で電話したオレだけどー、覚えてる?AAA は相変わらず来ないんだけど、それはそれとして、実はオレの目の前で、バイクと自動車が正面衝突したんだ。」「けが人は?」「いや、僕自身は確認してないんだけど、バイクの人が空中を飛んで行ったから、大けがだと思うよ。救急車を至急派遣してもらえます?ハイウエイパトロールへの連絡もよろしく。」みたいなことを言いいながら、事故現場へ通じる反対側からの下り坂をながめていると、あ、大きなトラックが。あれが、AAA のレッカー車に違いない。正確にはレッカー車ではなくフラットベッドと言う。オレの車は常時四駆なので、レッカーで後輪か前輪だけ持ち上げて引っ張ることができず、車全体をトラックに乗せて運ぶ必要があるのだ。(面倒なので、以下、レッカー車と書く。)
電話を終えて事故現場に戻り、まずは、レッカー車の兄ちゃんと話す。レッカーの兄ちゃん、呼んだオレのことよりも事故のことが心配で、事故車の前にレッカー車を止めて何かの役に立とうとしている雰囲気。オレは、自分が彼を呼んだことを告げ、もし事故処理の手伝いをしたいのであれば、終わるまで待ってやるから、していいよ、と言った。救急車と警察は呼んだのかと、聞くので、一応呼んだけど、オレのつたない英語じゃ正確に伝わってないかもしれないから、もう一度電話してもらっていいよ、と言って、非常電話の場所を教えてやった。

通報後30分ぐらいして、消防署の車みたいなのが来る。救急車かと思ったら違っていて、一番近くの集落の自衛消防団の人みたいだ。交通整理の手伝いを始めたが、人命救助はできそうもない。40分たっても救急車が来ないのに業を煮やしたバイク仲間が、トラックの荷台に負傷者を乗せて運んだらどうかと言い出した。それについて議論をしているうちに、南の方から救急車の音。やっと到着だ。それと前後して北側からは、ハイウエイパトロールがやってきて、自動車の運転手から事情聴取を始めた。
それからさらに30分ぐらい経過。救急車はやっとけが人を収容して走り去た。バイクの運転手は幸い片方の足の骨を折っただけですんだそうだ。運のいい奴だ。頭から着地していれば、首の骨を折って即死とか後遺症が残ってもおかしくないのに。警官も、もう交通整理はしなくていいという合図をして、事故処理終了。長い一日が終わった。
いやちょっと待て、まだオレの事故車の始末が終わっていない。レッカー車の兄ちゃんから、修理工事の場所と連絡先を聞く。オレの車はレッカー車の荷台にクレーンで引っぱり上げられた。この兄ちゃん、事故を起こしたバイクもいっしょに移動することとなり、それを積んでからの出発となる。次に、オレ達がロッジに戻る方法を考えないといけない。フランクの奥さんは、送ってやってもいいよと言っているが、彼らの帰り道とは逆方向で、往復で1時間以上損することになるから、それは悪い。北に行く人はいないか、事故現場でボランティアした人に声かけていくが、なかなかみつからない。それで、だめもとで、事故のまきぞえとなったベンツの、ゲイのカップル風の白人二人組にお願いしてみた。ベンツは、バンパーが壊れ、助手席側のガラスにヒビが入っていたが、走行可能ということで、そのまま走ることになっていたのだ。ちょっと神経質そうな人だったので断られるかと思っていたが、幸い引き受けてくれた。

彼らは、ミシガンから1週間かけてカリフォルニアまで自動車旅行をしているところだそうだ。長旅の途中でこんな事故に巻き込まれるなんて、かわいそうだと思う。運転手はかなり慎重な性格の人のようで、自動車の長旅のために、非常事態があった時に人工衛星経由で助けを呼べるシステムまで搭載したのだが、事故発生場所が山陰だったので役に立たなかったと嘆いていた。また、さすがに事故にあった直後のせいか、運転もかなり慎重で、ロッジに着くのに1時間ぐらいかかった。
お礼を言って、ロッジに着いたのが夜の8時半。レストランにはすでに閉店の看板が出ていたが、車がないのでここしか便りがないとお願いして入れてもらい、適当なものを食べ、しばらくして寝た。長い一日であった。
【余談】食事の後、ラップトップPCを持って来て、売店の近くのベンチに座り、メールを読む。無線LANの電波が、部屋まで届かないのだ。すると、売店のお姉ちゃんが通りかかったので、ちょっと雑談。実は今日は長い日で、車が故障して、生き別れになって、何とか宿まで戻って来た、と言うと、実は私も車が故障したからここに住んでるの、と言ってちょっとした身の上話を聞かせてくれた。
何年か前まで彼女とダンナは、トラックで放浪の旅(+仕事?)を続けていたのだそうだ。恐らくその日暮らしの生活。ところが、このロッジから2マイル先のところでトラックが故障。でも修理代を出せるような貯金はない。そこで修理代をかせぐために、ロッジで仕事を始めたのだそうだ。すると、住む部屋は提供してくれるし、オーナーとうまくいったし、ここが気に入って、定住して、今に至る、ということだそうだ。
いろんな人生あるねぇ。
【画像】事故処理中は写真を取っている余裕がなかったので、今回は画像なし、・・・ではさびしいので、今回の旅行中に取った画像を適当に載せました。
(まだまだつづく)