2007-06-10

おじぎは日本人のDNA

今年こそ帰国するぞー!と毎年言い続けて6年経過。オレのガキは小学校を卒業してしまった。(こちらの小学校は、5年生まで。)

日本と違って始業式も終業式もなく、入学式も校長が挨拶するだけのごく簡単なものしかないこの国の小学校だが、なぜか卒業式だけはやけに力を入れていた。オレに言わせれば、「たかが小学校の卒業」なのに、一月以上前から親のボランティアが募集され、準備が始まった。

各家庭からは、児童の0歳児、幼稚園、最近の写真が集められ、学校行事の写真と合わせて、立派な卒業アルバムが作られた。

卒業式は、卒業生が順番に講堂に入って来るところから始まった。さすがアメリカだけあって、服装は各自各様。普段着の人もいれば、ネクタイ姿の男の子、肩の出たパーティードレスの女の子、和服の女の子までいた。

それから、学芸会のように、各クラスで工夫した出し物があった。学校の教職員の名前を全て言って感謝したり、ひとりずつ学校の思い出をしゃべったり、将来の夢を語ったり。全クラス合同で卒業生全員のコーラスもあった。

その後、卒業証書授与があって、児童の名前をひとりずつ呼んでは、担任から証書を渡し、女性教師の場合はハグ、男性教師は握手をして、校長先生とも握手するのだが、ここで面白いことが観察された。

日本人の血の入っていない児童の場合、証書を両手で受け取るとすぐにハグなり握手なりをする。ところが日本人の血が半分以上入った児童の場合、証書を受け取った後、頭を下げておじぎをするのだ。まるで、日本の卒業式のように。不思議なのは、こちらでは誰も児童に証書を受け取ったらおじぎをするとは教えていない、ということだ。日本人用補習校に行っている子供達だけがおじぎをしたのであったら、上級生が卒業式でそうするのを見ていて、自然とそれを習っている、というふうに考えられるのだが、ウチのガキのように補習校に行っていない児童までが、ちゃんと頭を下げる。こういうのを見ると、おじぎは日本人のDNAの中に受け継がれているのではないだろうか、と非科学的と知りつつ思ってしまうのである。

ところこの卒業式は、諸般の事情で授業の最終日ではない日の行われたため、卒業証書はもうあるのに学校にまだしばらく行って、宿題に苦しむという、間抜けなことになっている。

Comments:
うーん、面白い。
でもやはり生得的なものと言うよりは、
親が日常生活で何気なくお辞儀してしまっている仕草を自然と見て真似てしまっているんですよね。
親も子も気づかないうちにいろいろな事が受け継がれていってるんですよね。
こわーい。
 
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