2007-04-22

ほめられ過ぎ世代

日本は子供をしかって矯正する教育、アメリカはほめて延ばす教育、と一般に言われている。日本の教育は子供を社会の枠に入れることを主眼とする。先生の指示に従わなかったり、校則に反したり、テストの回答が出題者の意図に反していたら罰を与える。これに対しアメリカの教育は、個性を延ばし、個を確立させることを主眼する。子供が何かをうまくできたらとにかくほめて、それぞれの子の才能を延ばしていく。オレは、日本の教育よりもそういうアメリカの教育の方がいいなぁ、と思っていた。

しかし、何事もやり過ぎはいけないようだ。時が経るにつれ、ほめ方がだんだん過度になったらしく、4月20日付けのヲールストリートジャーナル(下記注)の記事は、今年社会人になる世代のことを Most- Praised Generationつまり、「一番ほめられた世代」と呼んでいる。この世代が入社してくるので、受け入れ側の企業は、戦々恐々として、いろんな対策を練っているそうだ。(以下、この記事「The Most-Praised Generation Goes to Work」の受け売りなので、その点ご承知置きを。)

ほめる教育の一環として、アメリカの小学校の多くには、Student of Month というがあり、毎月優秀な生徒を選んで表彰する。これが始まった頃は、毎月ひとり生徒が選ばれていたのだが、表彰されないくてしょげる生徒が出たせいか、どんどん表彰人数が増えて行って、最近では毎月40人も選ばれる学校があるそうだ。つまり1年在籍すれば、全員ほぼ必ず表彰される、というわけだ。何じゃこりゃ。意味ないじゃん。(ありがたいことに息子の学校にはこんな馬鹿げた制度はなかった。多分。息子がもらわなかったので知らないだけかも。)

この問題の世代、家でも学校でも、ちょっと頑張れば当然できて当たり前のことができたら、偉いわねー、すごいねー、天才だねー、と言われて育った。また、少しでも何かに才能をみせたり、逆に何か苦手なことがあると、You are special (あなたは特別な才能があるわね。あなたは他人とは違うのよ。)と言われて続けた世代なんだそうだ。すべての行為に対して、すぐにほめられるのが当然と信じているので、ほめ言葉がないと不安になり、自信を喪失しやすいのだそうだ。

ほめ過ぎの別の問題点は、言葉のインフレ。フツーのことをしてもほめるわけだから、本当にすごいことをした時は、違うほめ方をしなければならない。そのための言葉が作られる。しかしそのうち、その言葉もフツーのことをした時に使われるようになり、新しい言葉が発明される。つまり、言葉の陳腐化という現象である。このため、昔は、You live in a nice house. (ナイスな家に住んでるね。) が褒め言葉だったのが、今や、けなし言葉に格下げされたのだそうだ。つまり、nice の使い過ぎで、nice は無意味な言葉となったというわけだ。

アメリカの大学の卒業は、6月頃なので、7月からこの新世代の新卒が大量に入社してくることになる。この新入社員達をつなぎ止めるために、各社はいろいろな対策を講じている。ある会社では、他の社員をほめたり、はやしたてたりする担当の人を雇ったそうだ。この人は、毎日いろいろな社員の机に風船を持って行ったり、感謝のカードを書いたりするらしい。また、ある企業では、管理職に部下に一日何通以上感者の電子メールや(紙の)カードを送るという目標設定をしているそうだ。また、違う会社では、社員の家族に感謝状を送ったりしているらしい。さらにさらに、ほめるコンサルタントというのがちゃんといて、こういうのを雇って、会社のトップや管理職にほめる訓練をしたりもしているそうだ。

しかし、社員をほめるための理由というのが、「会社に毎日出社していただいて、ありがとう」とかいう低レベルなのもあって、オレ達の世代からすると、まったく馬鹿げている。訓練を受けた旧世代の管理職からは、「オレ達が新入社員だった頃は、上司から怒鳴られないことが最大の褒美だったのになぁ」とぼやきも聞こえてくるとか。全く、世話のやけそうな世代になるようだ。

そんなわけで、弊社会長、毎日ちゃんと出勤しているオレを何でほめてくんないのー。ほめてくんないと、辞めちゃうよ。

注:
ヲールストリートジャーナル:The Wall Street Journal は、アメリカの経済新聞だが、一般生活記事も結構充実してて面白い。オンライン版は、www.wsj.com。紙名の Wall は、「ウォール」と書くのがフツーであることはわかっているが、オレは、これ、Love を「ラヴ」と書くのと同様の愚の骨頂と思い、使うのをやめた。なぜなら、多くの日本人は、この変な書き方とは関係無しに、実際には、「ヲール」、「ラブ」としか発音しないからだ。この書き方は、そう書く人が知識をひけらかすための自己満足でしかないと思う。フィルムの「フィ」のように、戦争前の世代には発音できない(「フ・イ」と読んでしまう)が、戦後世代の人は難なく普通に発音できるようになった音というのもあることはあるので、外国語の発音をカタカナで表記しようとする試み全てを否定しているわけではないが、「ヴ」や「ウォ」については、日本語の発音体系にはまず入らないと思う。

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