2007-08-25

中部カリフォルニア冒険の旅(その4)

2007年7月23日(月) 朝食後、修理の経過を聞くために修理工場に電話をかける。が、まだわからないから1時間後にかけ直してくれとのこと。次に、本日11時から連れ合いが2回目のマッサージの予約をしていたエサレン研修所に電話して、予約を取り消す。事情を説明するが、規定通り24時間以内の取り消しは返金できないとのつれない答え。もしもその時間にマッサージを受けたい人が表れたら、マッサージの権利を譲るように試みてくれるそうだが、あと2時間後の話なので望み薄である。(結局、転売は成立せず、前金で払ったマッサージ代150ドルがパーになった。)

しばらくロッジ周辺の庭園(画像)とか丘とかをうろうろした後、また修理工場に電話。トランスミッションが原因らしいが、そこの工場では手に負えないのでサンルイオビスポ(San Luis Obispo=SLOと略) のディーラーのところへ運ぶようにすすめられた。取りに来てくれというが、そこはルシアから60マイル(約100km)南のカンブリアという町。どう行けばいいか聞くと、レッカー会社に頼んだら来てくれるかも、といういい加減な返事。仮にすぐ来てくれたとしても、半分くねくね道の60マイルだと、1時間半はかかる。かといって、この辺にはバスもタクシーもないし、タクシーあったとしてもとんでもない値段になりそうだ。それよりは、誰かに頼んで載せてもらったほうが早そうなので、生まれて初めてヒッチハイクをすることになった!

まずは荷物をまとめてから、売店へ行き、チェックアウト。その際、売店の人に事情を話し、もしお客さんで南へ行く人がいたら、同乗させてくれるかを聞いてもらうようにお願いした。

それから道路の端に立って、南へ行く車を見つけては親指を進行方向に向けた例の合図を送るが、誰も止まってくれない。というか、そもそも南へ行く車はとても少ない。ほとんどが北へ行く車ばかりだ。南へ行くのは、バイクが多い。たまに来る自動車は、いっぱいに乗っていたり、荷物がいっぱいだったり。そうでない車は、わざとらしく視線を避けたり、知らんふりしたり。

30分ほどして、この方法ではだめだと思い、また売店の人に相談。そしたら、親切に空き箱のふたをちぎってそこに「Cambria」と大きな字で書いた看板を作ってくれた。新しい武器を持って、再度挑戦。だが、これもどうも芳しくない。前と同様、南へ行く車が少ない、という状況も好転しそうもない。

道路で合図して拾うのは、女性のほうがいいだろうということで、その役は連れ合いに任せ、オレは、売店やレストランや併設のトイレを使うために駐車した車に直談判を始めた。いいけどあと5マイル先にしか行かないよ、という人。奥さんに聞いてみないとわかんない、とか何とか適当なこと言って、奥さんに聞きもしないで行ってしまう人。いろんな人がいる。先日のレッカーのお兄ちゃんは、皆親切だから問題ないよー、などと言っていたが、ウソじゃん!昨日は親切な人ばっかりだったのに、いきなり都会に戻った感じ。

そうこうしているうちに、オレと同じスバル製の車で来た若い女性二人連れをみつけた。メーカは同じだが、ひとまわり小さい車種だ。荷物もたくさんあるので、だめかなとは思ったが、一応同じメーカーのよしみということで、話だけしてみた。スバルはトヨタやニッサンやホンダのようにポピュラーではないので、同じメーカーの車だというだけで、ちょっとした仲間意識を覚えるのだ。そしたら、つれってあげたいけど、荷物が入るかなぁ?うまく積めるんだったらいいよ、という、ちょっとうれしい返事。早速連れ合いを呼び、彼女達の荷物を適当に詰め替えて少しあいた隙間に、無理矢理オレ達の荷物を入れ、荷物の一部はひざの上に置くとかしたら、かなり窮屈だが何とか入った!これで、カンブリアまで行ける。この二人(画像)、高校の時のクラスメートで、今は別々の州に住んでいるけれど、今日はサンタクルツからアリゾナまでドライブ中だという。女性にしては割と無口で坦々と運転をする。こっちが気にしていろいろ話かけたぐらいだ。運転をしている人のお母さんがニューエイジ系の人で、エサレンにも行ったことがあるという。今回は、サンタクルツでヨガの先生の資格を取るワークショップを受けたそうだ。彼女ら、どうも、できたら今日中にアリゾナまで着こうというなかなか無謀な計画らしい。

1時間半ぐらいして、カンブリアに到着。修理工場の指示に従って商店街のはずれのガソリンスタンドで降ろしてもらう。せめてガソリン代だけでも出させてくれと言ったが固辞された。お礼を言い記念写真を取らせてもらってから別れる。修理工場からの迎えの車を待つ間に、近くのパン屋で昼食代わりにパンと紅茶を買う。15分ほどして迎えが来る。修理工場まで5分ぐらい。修理工事側ですでに自動車運搬車の手配はしてあり、そこで飼っている犬の相手をしながらしばらく待つ。修理はしなかったものの点検代ぐらいは取られるかと覚悟していたが、ありがたいことに無料だった。自動車運搬車にオレの車を載せ(画像)、オレ達は乗客席に座って、SLO のディーラーの所まで出発。

SLO は、カンブリアから南東へ30マイル(50 km)ほど離れたところにあるこの地方の中核都市。カリフォルニア工科大学のキャンパスもある。ここに昼過ぎに到着。ディーラーの修理工場は高いので利用したことがないのだが、さすがディーラー、受付は丁寧で、待合室もあり、商店街への送迎車もらる。(だから高いのだが。)点検して問題点を特定するまで数時間かかるというので、送迎車で商店街まで送ってもらう。夕方近くになって連絡がある。トランスミッションのギアの葉がこぼれているほか、複数の問題がみつかり、トランスミッションそのものの交換が必要だとのこと。そしてお値段は、えっ?3900ドル(=40万円強)!?それって、車自体の中古車価値の半分じゃん。そんなお金出してまで直す価値あんのか?

とりあえず送迎車に来てもらい、ディーラーの所へ戻る。そんな高価な修理するより新車買ったほうが安いんじゃないの?ともらすと、ではセールスの方へとつれていかれれる。新車や新古車買うんだったら、今の故障した車は2000ドルで下取りしますよ、ということで、一応何台か車を見せてもらうが、今イチ気に入ったのがない。適当な値段なのは、色が気に入らないかったり、マニュアル車だったり。それに、だいたい、こんな遠くのディーラーから、旅の途中で自動車を買うなんて、どう考えても馬鹿げている。一方、セールスマンは何とか売ろうとプレッシャーをかけてくる。

これと並行して、車にちょっと詳しい友達に相談したり、普段車を見てもらっている修理工場の人と相談したりした。サンフランシスコの修理工場は、ディーラーよりもずっと安くトランスミッションを交換できるが、サンフランシスコまでの230マイルの移動費用が翌朝にならないとわからないという。

あれこれ考えているうちに、頭は混乱しているし、喉は乾いているし、体は疲れていることに気づく。こんな状態ではロクな考えは浮かばない。今はまず休憩して、ゆっくり考えた方がいいと思い、休暇を1日延長し、この日は SLO に一泊することにする。セールスのオフィースにあったコンピューターを借りてインターネットで近くのモーテルを探し、予約。オレ達の担当になってしまったかわいそうな若いセールスのお兄ちゃんがそのモーテルまで送ってくれた。送迎車サービスは、5時までで、もう終わっていたのだ。

宿で、インターネットを使っていろいろ情報を仕入れるつもりで、わざわざインターネット接続可のモーテルを選んだのに、どうもうまく繋がらない。無線LANの電波が強くなったり弱くなったり。却って隣のモーテルの無線LANの電波の方が強かったりする。なので、あまり情報を仕入れることはできず、かろうじて、車の中古車としての価値を調べることと、同列モデルを新車で買った場合の価格だけ調べた。やはり予想通り、トランスミッションの交換は、中古車価格の半分の出費となる。

翌朝、サンフランシスコの修理工場の人と話す。車の移動費が700ドルかかるが、それを足しても3000ドル以内で直せると主張する。この車種用のトランスミッションはもう生産されていないので、トランスミッションは新品ではなく、再生品。1年の保証がつくという。今度はディーラーの修理工場と電話で話す。こちらもやはり再生品のトランスミッションだが、スバルのメーカー保証が2年付き、どのディーラーでも直してくれるとのこと。この車を1年以内に売ることを想定すると、メーカー保証が1年残っているのは、いい売り文句になるかもしれない、と考え、1000ドル高いがディーラーに直させることに決断した。

シャトルにホテルまで来てもらい、保証内容に関して再度確認、一筆もらい、代車を借りてサンフランシスコへの帰路に付く。途中で、ワインカントリーほどではないがワイナリーのたくさんあるのでちょっと有名なパソロボスという町に寄った。ただしワインは飲まずに食事だけ。暑いので、ガスパッチョ(画像)がおいしい。火曜日夕方、やっとサンフランシスコの自宅に着く。長い旅だった。

翌土曜日、再び代車を5時間走らせてSLOのディーラーまで修理の終わった車を取りに行く。代車を渡して、代わりに元気になった自分の車を走らせて、またサンフランシスコへ。これで、本当に今回の旅は終わった。もうSLOに来ることは当分ないだろう。

・・・となるはずだったが、話はそう簡単ではない。どうせSLO来たんだから、せめて近くの温泉(正確には鉱泉)でひと風呂浴びて行こうということで、5マイル離れたシカモア温泉へ行くが、途中で異臭に気づく。温泉についてから車体の下を覗くと、おおなんと、排気パイプから煙が出ているではないか!一難さってまた一難とはこのことだ!ひと風呂浴びた後あわててディーラーの所に戻る。土曜日なので整備士がいないが、ちょっとわかる人が車を台に上げて下から観察すると、何やら油が少しずつ落ちて来て、排気パイプに当たっているのが観察される。この人が修理工場の責任者に連絡して対応を協議してくれた。そしてこの車は再修理。我々は代車で帰る、ということになった。またSLOとサンフランシスコを往復なんていやだ、と文句言うと、修理の終わった車を誰かがサンフランシスコまで運転して来てくれて、交換で代車を返す、ということになった。やれやれ。また代車を運転してサンフランシスコへ帰る。ただし今回は駄々をこねて、少し大きめのアメ車で快適である。パソロブレにまた止まり、今回はワインテイスティング。

翌土曜日、修理の終わった車はやっと我々のもとに戻った。煙が出ていたのは、故障ではなく、トランスミッションの製造過程で使うグリスが残っていたためだった。拭き取って、何回も検査し、テストもしたから大丈夫、とのこと。

これでやっと・・・と思ったら大間違い。よく見ると、細かい傷がついているので、これはタッチペイントで処理。ブレーキを踏むと変な音がする。これは、修理工場に持って行って調べてもらったところ、ブレーキパッドを挟む装置が寿命でガタがきていることが判明。修理代700ドル。そして昨日は、タイヤに釘がささっていたのがわかり、あわてて汗を流してスペアタイヤに交換。(これは、行きつけの修理工場が幸い無料で補修してくれた。)

どうもオレには車運がないようだ。車の神様、どうかオレの所に来てください!

(おしまい)

2007-08-12

中部カリフォルニア冒険の旅(その3)

2007年7月22日(日) 夕方 - まったくウソみたいな話だ。こりゃ絶対事故起きるよね、と話をしていたら目の前で自動車とバイクの正面衝突が起きたのだ。この目で、バイク乗りが空中を飛んで行くのを見たなんて信じられない。

と感慨にふけっている間に、他の人の行動は素早い。フランクともう一人は、いつの間にか交通整理を始めた。坂を降りてくる車が事故車にぶつかる二次災害を防ぐためだ。また、片側1車線の道路なので、反対側から来る車と交互通行をさせる必要もある。勿論、まだまだやってくる暴走バイクの連中を静める必要もある。他の人は、空中を飛んで地面にたたきつけられたバイク乗りの介護の様子をうかがっている。さすがにボランティアの国、アメリカだ。誰にも指図されずに自分のできることを始めた。手際がいい。ええと、オレにできることは、と考えて、非常電話のありかを知っているのはオレだけなので、救急車と警察を呼びに行くことにした。

もう1時間もいやいやつきあわされて、慣れた非常電話。呼び出しボタンを押すと、今度はさっきよりは早く係員が出た。聞いたことある声。「えーっと、さっき AAA の件で電話したオレだけどー、覚えてる?AAA は相変わらず来ないんだけど、それはそれとして、実はオレの目の前で、バイクと自動車が正面衝突したんだ。」「けが人は?」「いや、僕自身は確認してないんだけど、バイクの人が空中を飛んで行ったから、大けがだと思うよ。救急車を至急派遣してもらえます?ハイウエイパトロールへの連絡もよろしく。」みたいなことを言いいながら、事故現場へ通じる反対側からの下り坂をながめていると、あ、大きなトラックが。あれが、AAA のレッカー車に違いない。正確にはレッカー車ではなくフラットベッドと言う。オレの車は常時四駆なので、レッカーで後輪か前輪だけ持ち上げて引っ張ることができず、車全体をトラックに乗せて運ぶ必要があるのだ。(面倒なので、以下、レッカー車と書く。)

電話を終えて事故現場に戻り、まずは、レッカー車の兄ちゃんと話す。レッカーの兄ちゃん、呼んだオレのことよりも事故のことが心配で、事故車の前にレッカー車を止めて何かの役に立とうとしている雰囲気。オレは、自分が彼を呼んだことを告げ、もし事故処理の手伝いをしたいのであれば、終わるまで待ってやるから、していいよ、と言った。救急車と警察は呼んだのかと、聞くので、一応呼んだけど、オレのつたない英語じゃ正確に伝わってないかもしれないから、もう一度電話してもらっていいよ、と言って、非常電話の場所を教えてやった。

そのうち後から来たバイク乗りの仲間達が集まり出した。さらにそいつらがトランシーバーで連絡したのか、それともちっとも来ないから心配になったからか知らないが、先に行ったバイク仲間も現場に戻って来た。しかし、こいつらは、若造のアホだ。友達が心配なのはわかるが、右往左往するだけで、事故処理の手伝いをしようともしない。全く困った連中だ。

通報後30分ぐらいして、消防署の車みたいなのが来る。救急車かと思ったら違っていて、一番近くの集落の自衛消防団の人みたいだ。交通整理の手伝いを始めたが、人命救助はできそうもない。40分たっても救急車が来ないのに業を煮やしたバイク仲間が、トラックの荷台に負傷者を乗せて運んだらどうかと言い出した。それについて議論をしているうちに、南の方から救急車の音。やっと到着だ。それと前後して北側からは、ハイウエイパトロールがやってきて、自動車の運転手から事情聴取を始めた。

それからさらに30分ぐらい経過。救急車はやっとけが人を収容して走り去た。バイクの運転手は幸い片方の足の骨を折っただけですんだそうだ。運のいい奴だ。頭から着地していれば、首の骨を折って即死とか後遺症が残ってもおかしくないのに。警官も、もう交通整理はしなくていいという合図をして、事故処理終了。長い一日が終わった。

いやちょっと待て、まだオレの事故車の始末が終わっていない。レッカー車の兄ちゃんから、修理工事の場所と連絡先を聞く。オレの車はレッカー車の荷台にクレーンで引っぱり上げられた。この兄ちゃん、事故を起こしたバイクもいっしょに移動することとなり、それを積んでからの出発となる。次に、オレ達がロッジに戻る方法を考えないといけない。フランクの奥さんは、送ってやってもいいよと言っているが、彼らの帰り道とは逆方向で、往復で1時間以上損することになるから、それは悪い。北に行く人はいないか、事故現場でボランティアした人に声かけていくが、なかなかみつからない。それで、だめもとで、事故のまきぞえとなったベンツの、ゲイのカップル風の白人二人組にお願いしてみた。ベンツは、バンパーが壊れ、助手席側のガラスにヒビが入っていたが、走行可能ということで、そのまま走ることになっていたのだ。ちょっと神経質そうな人だったので断られるかと思っていたが、幸い引き受けてくれた。

彼らは、ミシガンから1週間かけてカリフォルニアまで自動車旅行をしているところだそうだ。長旅の途中でこんな事故に巻き込まれるなんて、かわいそうだと思う。運転手はかなり慎重な性格の人のようで、自動車の長旅のために、非常事態があった時に人工衛星経由で助けを呼べるシステムまで搭載したのだが、事故発生場所が山陰だったので役に立たなかったと嘆いていた。また、さすがに事故にあった直後のせいか、運転もかなり慎重で、ロッジに着くのに1時間ぐらいかかった。

お礼を言って、ロッジに着いたのが夜の8時半。レストランにはすでに閉店の看板が出ていたが、車がないのでここしか便りがないとお願いして入れてもらい、適当なものを食べ、しばらくして寝た。長い一日であった。

【余談】食事の後、ラップトップPCを持って来て、売店の近くのベンチに座り、メールを読む。無線LANの電波が、部屋まで届かないのだ。すると、売店のお姉ちゃんが通りかかったので、ちょっと雑談。実は今日は長い日で、車が故障して、生き別れになって、何とか宿まで戻って来た、と言うと、実は私も車が故障したからここに住んでるの、と言ってちょっとした身の上話を聞かせてくれた。

何年か前まで彼女とダンナは、トラックで放浪の旅(+仕事?)を続けていたのだそうだ。恐らくその日暮らしの生活。ところが、このロッジから2マイル先のところでトラックが故障。でも修理代を出せるような貯金はない。そこで修理代をかせぐために、ロッジで仕事を始めたのだそうだ。すると、住む部屋は提供してくれるし、オーナーとうまくいったし、ここが気に入って、定住して、今に至る、ということだそうだ。

いろんな人生あるねぇ。

【画像】事故処理中は写真を取っている余裕がなかったので、今回は画像なし、・・・ではさびしいので、今回の旅行中に取った画像を適当に載せました。

(まだまだつづく)

2007-08-07

中部カリフォルニア冒険の旅(その2)

2007年7月22日(日) 今日はとりたてて予定なし。朝食をロッジのレストランで取り、その後、海に面した裏庭を散策したりしてだらだらすごす。

朝食が多めだったので、昼食は取らずに、家から持って来たメロンと昨日買ったスコーンとお菓子をちょっと持ってドライブ+ハイキングに行く。目指すは、サーモンクリークという場所にあるらしい滝。ロッジから17マイル(27キロ)南の所に入り口のある登山道を1時間ばかりハイキングすればあるらしい。途中途中で見晴し台のような所に車を止めては、海の写真を取りながら車を走らせる。

途中の海の方をみると、海の上に霧が出ていた。普通、霧は、海からの風が山にあたって上昇するところで発生するものだと思っていたので、ちょっとびっくり。ひょっとして、そこは暖流と寒流がぶつかる所か?

この辺のハイウエイ1号線沿いは、ほとんど民家がない。群落のようなもの、途中3つと、キャンプ場があったが、どこもせいぜい人口100人といった感じ。日本人には想像もつかない低人口密度だ。

ロッジを出てから峠をふたつ位過ぎ、17マイルは走ったが、サーモンクリーク山道入り口らしきものはまだ見えず。もうすぐ20マイル地点を過ぎようとしている。不安になって、地図を見るため、道の右側の空き地に車を止める。しかし、ロッジでもらったこの辺の観光案内地図は不正確だし、AAA (アメリカ版JAF。トリプルエイと読む。) の地図にはそんな無名な場所は書いてない。結局よくわからず。もうちょっとだけ行ってみることにして、エンジンかけて車を動かすと、車体の下から、ガタッ、ガタッ、ガタッと、気になる音。まるでパンクしたタイヤで走るような周期の音だが、ちょっと違う。数十メートル先に都合良くまた空き地があったので、そこで車を止め、エンジンを切り、タイヤの確認。でも、どのタイヤもパンクした様子はない。。もう一度エンジンをかけ、ちょっとだけ走ってみるがやっぱり変。今度は道路の反対側にちょっとした駐車場があるのでそこへ車を止める。

何かわかるかもしれないと、タイヤをひとつずつジャッキで上げて調べてみるが、別になに刺さってないしもからまっている様子もない。どうやらもうちょっと込み入った故障らしい。レッカー車を呼ぶしかなさそうだ。だがどうやって?ここは人里離れた山の中の道。携帯も通じなければ、公衆電話もない。それに、この変の地理も不案内で、いったいどこの町なら修理工場があるのかさっぱりわからない。できたらロッジ近く修理工場に移動したいが、こことロッジの間には、小さなガソリンスタンドがひとつあっただけ。修理する設備があるのかどうか実に怪しいし、それに日曜日に開いている可能性はかなり低い。仮に開いていていも5時に閉まるだろうが、今は3時半。レッカー呼んで、引っぱってもらったとして、仮に修理工場が開いていても、修理する時間はないかもしれない。困った困った。

と困りながらまわりを見渡したところ、何かの看板が。行ってみると、ここが目的地のサーモンクリーク登山道入り口であった!何たる皮肉。今は車を何とか直すことと、宿に戻ることが最優先。ハイキングはあきらめざるを得ない。

取りあえずこの辺の地理や交通事情を知っておいたほうがいいかと、駐車場(といっても車7台ぐらいしか入らない、空き地のようなところ)に今駐車したばかりの車が目にはいったので、その車のドライバーと話してみた。車にいたのは、50〜60歳ぐらいの夫婦と犬2匹。夫のフランクは体の大きないかにもアメリカ人。だが、とても親切な上に、都合よく車の修理工をやっていたことがあるらしい。まず、ちょっと車を動かしてみて、それから何と、汚れるのもいとわず車の下に大きな体を入れて、見てくれた。彼の診断は、ドライブシャフトかその周辺の問題で、このまま走行はしないほうがいい、とのもの。フランクは違う携帯会社の携帯を持っていたので、試してみたが、やはり圏外。奥さん(名前聞き忘れ)が出て来て、じゃあ、オレを乗せて携帯が使えるところまで運んでやろうか、とのこと。ありがたい申し出に感謝。ただし、奥さんを犬の散歩ができるところまで車で運んで降ろして来るから待っててくれということ。しかし車はすぐに戻って来た。何と50m ぐらい離れたところに、非常電話があるとのこと。これは、どうもありがとう、と礼をいい非常電話の所へ行く。

これで助かった。非常電話の受話器を取り、呼び出しボタンを押すと、係員が出た。非常電話の番号を読み、車が故障したことを伝え、AAA につなげてくれるように頼む。だが、素直に AAA に伝えてくれるわけではなかった。オレの名前、(使えない)電話番号、車の種類、詳しい場所を聞きとった上で、ちょっと待っててくれと言われた。が、なかなか戻って来ない。5分ぐらいして、つながったかと思ったら、また同じような質問。おい、大丈夫かこいつ?さらに待つこと10分。風は吹いているが、一応炎天下。結構暑い。受話器の長さの関係で、座り込むこともできず、立ちっぱなし。結構つらい。やっと AAA に繋がった。が、話が通じない。非常電話の番号を読むように言われて読んだが、向うが思っているのとは番号の体系が違うようで、相手はオレの場所を正確につかんでいない様子。辛抱強く話を続けたあげく、「じゃあ、サーモンクリークからレッカー車が行きますから、待っててください。」という。えっ?「あの、すいません、サーモンクリークからレッカー車って今言いました?あの、今我々がいるのは、サーモンクリーク登山道入り口なんですけど、わかってます?サーモンクリークというのはこの登山道だけで、レッカー移動の会社があるような場所じゃないんですけど、我々の場所、正確に把握されてますか?」、とオレ。「えーっと、メンダシーノの近くですよね?」おいおい。メンダシーノというのは、サンフランシスコから北へ3時間ぐらい北上した所にある沿岸の町だ。確かに1号線沿いではあるが。「違います、違います、今いるのは、モントレーの南にあるビックサーのさらに南です。近くの大きな町は、サンルイオビスポ」「えっ、それなら、うちの管轄じゃないなぁ。今話しているのは、AAA の北カリフォルニア支部で、おたくは南カリフォルニア支部と話す必要あるよ。」

ガーン。後でわかったのだが、故障した場所は、ちょうどAAAの支部境界の近くで、非常電話の受付センターは、北カリフォルニア支部管轄地域にあるようだ。境界の近くに住んでいる人は、皆迷惑を受けているらしい。

こんなことしている間に、さっきのフランク奥さんが、まだ電話をしているオレを見つけて、心配になってやってきた。冷たい水のボトルと何かの食料を持ってきてくれた。何と親切な。まったく感激。でも水筒は持っていたので、お礼だけ行って丁寧にお断りした。

思い直してもう一度非常電話に挑戦。今度は担当者が出るまで時間がかかる。さっきとは違う人が出た。同じ情報を伝えた上で、今度は南カリフォルニアの AAA につなげてもらうよう頼む。ここでまた待ち状態にされて、待つこと10〜15分。やっと南カリフォルニアAAAの人が出る。同じこと情報を繰り返して伝える。南カリフォルニアAAAだから大丈夫かと思ったが、やっぱり非常電話の場所の確認ができない。いったい何のための非常電話だ。あれこれ話をしているうちに、何と、途中で通話が切れる!

もう、いやー。泣きそうだ。あれこれあってもう45分は電話かけてるぞ。こんなの続けていたら、今に暑くて倒れるかも。何でこんな目にあわんといかんのだ!ああ、こんなところで遭難するんだろうか?と、怒りと悲しみと悲壮感が混じった気持ち。

しかし、もう一度気を取り直して、非常電話に挑戦。今度は、今まで起きたことを説明した上で、ここは暑くて、オレはもう疲れていて、こんなこと続けていたらいつ倒れるかもしれん、と言った。すると、非常電話担当者は何と AAA ではなく、ハイウェイパトロール(ハイウェイを管轄する州警察)につなげてしまった。いきなり、名前を名乗れ、といかにも警察的高圧的態度。一瞬ビビったが、助けがいること、疲れていはいるが救急車は不要で、ただ AAA に来てほしいことを伝え、相手がここの場所を正確に把握していることを確認した。担当の人(警官かも)は、AAA に連絡するから、そこで待て、という。45分ぐらいで来れるだろうと。

半信半疑だが、こうなったら、警官の言ったことを信用するしか無い。フランク達は、もしレッカー車が来なかったら大変だから、いっしょにしばらく待ってくれるという。本当に親切な人達だ。もう一度犬を近くの沢に散歩に連れて行き、帰って来てもレッカー車が来てなかったら、オレ達を近くの町まで連れて行ってくれることになった。

オレ達はいつレッカー車が来てもいいように、駐車場で待つ。だがちっともこない。45分経過。でもだめだ。しかしフランク達も戻って来ないので、駐車場の陰に座って待つ。オレの車と同じ車種の車にハイキングを終えたレズのカップル(たぶん)が戻って来たので、同車種のよしみということで、ちょっと話をした。そしたら、その二人もオレ達のことを心配して、水とナッツを置いて行ってくれた。まったく、ありがたい人達ばかりだ。

ということをしているうちに、黒いバイクが一台南からやって来て、止まる。イージーライダーといった感じのバイク。後ろに寝袋を積んでいる。運転手は結構なおじさん。タバコに火をつけながら、突然オレに話しかけて来た。「いやー、今日は気違いみたいな速さでこの山道を行くバイクが多いだろ。昨日、モントレーの近くでバイクの大きなレースがあって、いろんなところからバイク野郎が集まっていたんだよ。そいつらが、一拍してから、わざわざ1号線使って帰るんだけど、あいつらものごとわかってないよね。こんな速さで走ったら危ないよ。」みたいな話だ。そういや、確かに、オレ達の車も暴走気味のバイクの集団に途中で何回か抜かれた。追い越し禁止の所でも平気で追い越ししてくるし、危ないなと思っていた。

あたりさわりのない話をした後、オレ達が何故ここでつっ立って待っているのかを説明したら、とても同情してくれて、「じゃあ、オレもいっしょに待ってやるよ。急ぐ旅じゃないからね。」とありがたいお言葉。これで、応援団3人目だ。このおじさん、既婚者だが、時々ぶらっと寝袋とテント持ってバイクで旅をするのだそうだ。時々お尻が痛くなると、こうやって休憩するのだそうだ。

バイクのおじさんといっしょにガードレールに腰をかけて話を続ける。おじさんは、まだ暴走バイクを心配していて、「いやあ、こんなことしていたら、事故起きるよね。オレは、もし倒れたバイクが出たら、起こすのを手伝ってやることにしよう。」と言う。ちなみに、我々の目の前は、右側(北)からの下り坂が終わって、また登り坂が始まるところで、やや急で見通しの悪いカーブとなっている。

しばらくすると、山のほうから人影がやってくる。どうやらフランクと奥さんと犬と、あと一組犬連れのハイカー達だ。こちらに向かってくる。やれやれ、やっぱり、レッカー車は来なかった。オレの車は今晩はここに置いて、フランクの車で近くの町に行くしかないようだ。ロッジには多分戻れないだろう。一泊分無駄にすることになるな。などと考える。まだ彼らが登山口に着くには数分かかりそうなので、また、道路を何気なくながめる。

その時、我々の右手からやってきたバイクが右カーブを曲がりきれなかったのか、センターラインをオーバーして左のレーンにはみ出て来た(アメリカは右側通行)。左からは割とベンツがゆっくりめにやって来る。バイクは、車のボンネットの上に跳ね上がり、バイクの運転手はそのまま空中を飛んで、車の後方に落ちた。あっという間の出来事だ。信じられない。たった今、我々の目の前で、衝突事故が起きたのだ。

(まだつづく)

2007-08-05

電車が50メートルずれて止まったからって何だ?

asahi.com でさっき見た記事の見出しは、
JR学研都市線、野崎駅で50m行き過ぎ停止
http://www.asahi.com/national/update/0805/TKY200708050030.html
asahi.com には、似たような記事が目につく。最初は、JR 西の宝塚線事故にからんで、JR西がたるんどる、ということを言いたいから、こういう記事書くのかと思ったが、どうもそうではないようだ。

いったい、電車がちょっとずれてホームに止まったからと言って、それがどういう社会影響があるのだ。満員電車がホームにずれて止まって、そのままドアを開けてたら、あふれた人が反対方向のレールに押し出されて、多数死傷した、というのならわかるのだが、この記事はただずれて止まったことだけを書いている。それでダイヤが9分遅れた。だからどうした?人間だからこのくらいの間違いはあるだろう。たった9分の遅れで運行している鉄道なんて、世界のレベルでは、とっても優秀じゃだと思う。それに、バスが9分遅れても、asahi.com の記事にはならないだろう。バスは遅れるもんだ。日本人は正確さに固執しすぎる。もう少し寛容になってもいいんじゃないだろうか。(でも年金がなくなるのはだめですよ。)

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