2007-06-23

すばらしい職人の仕事に驚く

冬の間着て、クローゼットに積んでいたお気に入りの青い薄手のカシミアのセーター。ちょっと冷え込む日に着ようとしたら、前部の下方右側あたりに5mmぐらいの穴が。くそー、虫にやられたらしい。虫除けになるはずの cedar (辞書によると、ヒマラヤスギ)の木辺を置いてあったのだが、個数が足りなかったのか、それとも古くて効果がなくなっていたのか?

一応100ドル以上出して買ったものだし、愛着もあるので、捨てるのもおしい。職場の近くに修理屋があったのを思い出し、そこに持って行って相談をした。この修理屋、背広の仕立て屋の中にあるのだが、そこからは部屋を借りているだけで、独立経営らしい。あまり英語のうまくない夫婦と思われる男女がやっている。ちょっととっつき悪そうなおっさんが、穴をじっとながめて、うーんそうねぇ、1週間ぐらいかかるけど直せると思う、というのでまかせることにした。お代は20ドル。

約束の日に修理の済んだセーターを取りに行く。渡されたセーターを手に取り、さて穴はどうなったかなと穴の跡を探そうとするのだが、ちっともわからない。見事な仕事。完璧。これぞプロの仕事。まあだいたいがいい加減な仕事をする奴の多いアメリカで、こんな素晴らしい仕事をしてくれる人がいるとは、全くびっくりだ。

実は何年か前、カシミアのベストに穴があいていたことがあり、その時は、近くのクリーニング屋に修理を頼んだ。結果はかなり悲惨で、糸で縫っただけ。しかも糸の色が元の材料とかなり違う。だから、まあアメリカじゃしかたないか、と思っていたのだ。

それでは試しにと、今度はそのいい加減な修理をしたベストをこの修理屋に持ち込んで、再修理を依頼した。今度も結果は完璧。穴の跡が発見できない。うーん、見事。こういういい仕事を見ると大変気持ちがいい。

ここにはその後、アルヘンチーナ(アルゼンチン)で買った皮のジャンパーも持って行った。これ、、皮はいいけれど縫製がいい加減で、すぐに裏ポケットと裏地の一部に穴があき、ジッパーと袖は、一部に縫い残しがある。修理を頼んだ時には、裏地は同じ色の布がないので、多少目立つよと言われた。ところが取りに行くと、同じ色の布で補正してあった。何と、穴のあいた裏ポケットの中の布を裏地に転用し、ポケットに違う色の布を使ったのだそうだ。すばらしい発想。全く恐れ入った。こういう職人がいるアメリカ。なかなか捨てたもんじゃない。

2007-06-17

子供を落としていいですか?

「3時頃、子供を落としていいですか?」これは、こちら(サンフランシスコ)に住む、日本人のお母さんの言葉。我が子を橋の上から落として保険金詐欺をしようというぶっそうな話ではない。子供を3時に車で連れて行っていいか、という意味だ。英語では、誰かを連れて行って置いてくることを、「Can I drop him off?」というのだが、これを直訳すると、「落とす」になってしまう、というわけだ。日本で育った日本人も、長く海外にいるとこのように言葉が混乱してしまう。

「水泳の時間にシャワーを取るのがいやだった。」は、小さい頃に日本から引っ越しして来た日本人の子供(11歳)の言葉。「シャワーを浴びる」=「Take a shower」の直訳である。まあ、アメリカで育ったんじゃ仕方ないか。

「スキーをやっている時、落ちちゃった。」は、オレのガキの言葉。ころぶ=fall=落ちる、である。

日本国外在住の皆様、他に変な表現を知っている人は、ぜひコメントに書き込んでください。よろしく。

2007-06-10

おじぎは日本人のDNA

今年こそ帰国するぞー!と毎年言い続けて6年経過。オレのガキは小学校を卒業してしまった。(こちらの小学校は、5年生まで。)

日本と違って始業式も終業式もなく、入学式も校長が挨拶するだけのごく簡単なものしかないこの国の小学校だが、なぜか卒業式だけはやけに力を入れていた。オレに言わせれば、「たかが小学校の卒業」なのに、一月以上前から親のボランティアが募集され、準備が始まった。

各家庭からは、児童の0歳児、幼稚園、最近の写真が集められ、学校行事の写真と合わせて、立派な卒業アルバムが作られた。

卒業式は、卒業生が順番に講堂に入って来るところから始まった。さすがアメリカだけあって、服装は各自各様。普段着の人もいれば、ネクタイ姿の男の子、肩の出たパーティードレスの女の子、和服の女の子までいた。

それから、学芸会のように、各クラスで工夫した出し物があった。学校の教職員の名前を全て言って感謝したり、ひとりずつ学校の思い出をしゃべったり、将来の夢を語ったり。全クラス合同で卒業生全員のコーラスもあった。

その後、卒業証書授与があって、児童の名前をひとりずつ呼んでは、担任から証書を渡し、女性教師の場合はハグ、男性教師は握手をして、校長先生とも握手するのだが、ここで面白いことが観察された。

日本人の血の入っていない児童の場合、証書を両手で受け取るとすぐにハグなり握手なりをする。ところが日本人の血が半分以上入った児童の場合、証書を受け取った後、頭を下げておじぎをするのだ。まるで、日本の卒業式のように。不思議なのは、こちらでは誰も児童に証書を受け取ったらおじぎをするとは教えていない、ということだ。日本人用補習校に行っている子供達だけがおじぎをしたのであったら、上級生が卒業式でそうするのを見ていて、自然とそれを習っている、というふうに考えられるのだが、ウチのガキのように補習校に行っていない児童までが、ちゃんと頭を下げる。こういうのを見ると、おじぎは日本人のDNAの中に受け継がれているのではないだろうか、と非科学的と知りつつ思ってしまうのである。

ところこの卒業式は、諸般の事情で授業の最終日ではない日の行われたため、卒業証書はもうあるのに学校にまだしばらく行って、宿題に苦しむという、間抜けなことになっている。

2007-06-07

妻はいまだに夫の付属物か?

またまた似たような話で読者には申し訳ないが、あきらめて、 asahi.com の「女装の男を住居侵入容疑で逮捕、直後に心肺停止 福岡市」という摩訶不思議なこの記事の抜粋を読んでいただきたい:

8日午前2時20分ごろ、福岡市南区柳河内1丁目の青果店員の男性(31)方の敷地内に男が入り込んでいるのを、男性の妻(32)が見つけた。

つまり早い話が書きたいのは、

8日午前2時20分ごろ、福岡市南区柳河内1丁目の家の敷地内に男が入り込んでいるのを、その家に住む妻(32)が見つけた。

ということだろう。

この記事の書き方にはオレは3つの疑問というか、不満がある。

  1. この家の持ち主(あるいは単なる居住者?)の職業を何でいちいち書くのか?
  2. この家の持ち主(同上)の年齢を何でいちいち書くのか?
  3. なぜこの家を、「男性方」という書き方するのか?女性は、ただの付属物で、家を構えられないのか?
その家が青果店員の31歳の男性だけの名義だった可能性もあるし、妻が別居していた可能性もあるが、恐らく違う。多分そういう時は、このような記事書く人の発想からすると、いちいち「別居中の妻(32)が見つけた」と書くだろう。

とにかく、この記事にはオレの日本のマスコミに対する疑問が凝縮している。進歩的とされる朝日新聞の書く記事が未だにこのような封建的な内容だから、どうしようもない。困ったことだ。

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